オレグ(キエフ大公) (不詳〜912年ころ)
ノヴゴロド国のリューリクの死後、その遺児イーゴリを奉じてあとをつぎ、さらに南下してキエフを占領した(882)。ヴァイキングのオレグのもとで南北の東スラヴ人は統合され、全ロシア的なキエフ公国が誕生した。(在位879年 – 912年)
オレグ(キエフ大公)
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ世界の成立
ヴァイキングの活動
またスウェード人はロシアの起源をなすノヴゴロドやキエフの国家形成にも関わった。伝説によれば、862年部族同士の抗争に苦しむ東スラヴ人は、ルーシ(スウェード人の一派。ロシアの古名になったともいわれる)のもとに自分たちの支配者を求める使者を送り、リューリクを招いてノヴゴロド国を建設し、混乱をおさめたという。
リューリクの死後、その遺児イーゴリを奉じたオレグ(キエフ大公)があとをつぎ、さらに南下してドニエプル川中流の都市国家キエフを占領した(882)。リューリクの物語は伝説的要素が濃いものの、オレグの実在は東ローマ帝国の文献でも確認されている。
いずれにせよ、オレグのもとで南北の東スラヴ人は統合され、全ロシア的なキエフ公国(キエフ・ルーシ)が誕生することになった。しかし、他のノルマン国家と同様、キエフ公国のノルマン人もまもなくスラヴ化していった。
東ヨーロッパ世界の成立
東スラヴ人の動向
東方ロシアに拡大した東スラヴ人は、バルト海と黒海・カスピ海を結ぶ交通の要衝ノヴゴロドやキエフを中心に、9世紀ころまでにいくつかの小国家を建設していたが、882年のノヴゴロドから南下したヴァイキングのオレグ(キエフ大公)がキエフを占領すると、統一国家キエフ公国が成立した。遠征と貢税支配に依拠した初期のキエフ公国では、イーゴリ1世(キエフ大公)(位:912〜945)とスヴャトスラフ1世(キエフ大公)(位:945〜972)の時代に外征を繰り返し、たびたびビザンツ領を荒らしたほか、南ロシアのハザール国やブルガリア帝国に打撃を与えた。
次のウラディミル1世(キエフ大公)(位:980〜1015)は、一族を各地に封じて土着勢力を抑えるとともに、ビザンツ皇帝バシレイオス2世の妹と結婚、ギリシア正教を国教と定め(988/989)、国家支配の強化に努めた。