ラテン帝国 十字軍の影響 十字軍の遠征路とラテン帝国地図
十字軍の遠征路とラテン帝国地図 ©世界の歴史まっぷ

ラテン帝国


東ローマ帝国コムネノス朝

ニカイア帝国

東ローマ帝国パレオロゴス朝

ラテン帝国 (ロマニア帝国 A.D.1204〜A.D.1261)
1204年、ヴェネツィアと第4回十字軍がビザンツ帝国の首都コンスタンチノープルを占領し、建てられた十字軍国家。ビザンツ帝国の亡命政権のひとつニカイア帝国のミカエル・パレオロゴスがジェノヴァの協力を得て1261年にコンスタンチノープルを奪還し、ビザンツ帝国が復活した(パレオロゴス王朝)。

ラテン帝国

ヨーロッパ世界の形成と発展

ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ
ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

西ヨーロッパ中世世界の変容

後期の十字軍
第4回十字軍(1202〜1204)
13世紀初頭の第4回十字軍(1202〜1204)は、教皇権の絶頂期にあったインノケンティウス3世(ローマ教皇)により提唱された。だがヴェネツィア総督エンリコ・ダンドロの進言により、十字軍は聖地に向かわず、コンスタンティノープルを占領、略奪し、ラテン帝国(1204〜1261)を樹立するという結果を招いた。
ラテン帝国 十字軍の影響 十字軍の遠征路とラテン帝国地図
十字軍の遠征路とラテン帝国地図 ©世界の歴史まっぷ

フランドル伯がボードゥアン1世(ラテン皇帝)となり、帝国領は封土として諸侯や騎士に授与された。ヴェネツィアもコンスタンティノープルの一部の他、多数の島々や沿岸地方を手に入れた。この十字軍の脱線の背景には、諸侯や騎士の領土欲のほかに、地中海商業をめぐる東ローマ帝国とヴェネツィアの対立があった。

東ヨーロッパ世界の成立

後期ビザンツ帝国

11世紀の末、宮廷の内紛を鎮めて帝位についたコムネノス朝のアレクシオス1世コムネノスは、貴族勢力に対し軍事奉仕を条件に公有地の管理を任せるプロイノア制を導入、これにより帝国の封建化は進んだが、貴族連合体制のもとで国内は安定することになった。
対外的には、ヴェネツィアと提携してアドリア海からノルマンを撃退、さらにセルジューク朝の圧力に対抗するためローマ教皇に十字軍(第1回十字軍 1096年〜1099年)を要請し、トルコ人に奪われた土地の回復を目指した。
この相対的安定も、12世紀末から再び崩れた。貴族層は帝国からの自立を強め、セルビア・ブルガリアも独立、1204年にはヴェネツィア第4回十字軍によりコンスタンティノープルが占領され、ラテン帝国の出現をみた。

東ローマ帝国 東ヨーロッパ世界の成立
1095年ビザンツ帝国コムネノス朝 Source: Wikipedia
東ローマ帝国 東ヨーロッパ世界の成立
1180年ビザンツ帝国コムネノス朝 Source: Wikipedia
東ローマ帝国 東ヨーロッパ世界の成立
1270年ビザンツ帝国パレオロゴス朝 Source: Wikipedia

ビザンツの残存勢力はトレビゾンド・ニケーア・エピロスに独立政権を立てて抵抗、そのひとつニカイア帝国ミカエル8世パレオロゴスは、1261年ジェノヴァの協力を得てコンスタンティノープルを奪回し、ビザンツ帝国を再興した。これが、帝国最後のパレオロゴス朝(1261~1453)の成立である。

詳説世界史研究

歴史

  • 1204年 – フランドル伯ボードゥアン9世が、5月16日に初代皇帝ボードゥアン1世として即位。
  • 1205年 – ラテン帝国軍、ブルガリア軍に敗北。ボードゥアン1世が捕虜となる。
  • 1206年 – ボードゥアン1世の弟アンリ・ド・エノーが皇帝に即位。
  • 1216年 – アンリが死去。ラテン帝国は以後衰退の一途をたどる。
  • 1217年 – アンリの後を継いだフランス人のピエール2世・ド・クルトネーがローマからコンスタンティノポリスへ向う途中のアルバニア山中でエピロス専制侯国に捕らえられる。
  • 1225年 – ニカイア帝国軍に大敗。小アジアの領土の大半を失う。
  • 1261年 – ラテン帝国軍がヴェネツィア海軍と共に黒海西岸へ遠征に出ている隙をつかれて、7月25日の夜中にニカイア帝国軍にコンスタンティノポリスを占領され、最後の皇帝ボードゥアン2世は逃亡。ここにラテン帝国は滅び、57年ぶりに東ローマ帝国が復活した。

参考 Wikipedia

歴代皇帝

  1. ボードゥアン1世(ラテン皇帝)(1204年–1205年)
  2. アンリ(1206年–1216年)
  3. ピエール2世・ド・クルトネー(1216年–1217年)
  4. ヨランド(1217年–1219年)
  5. ロベール(1221年–1228年)
  6. ジャン・ド・ブリエンヌ(1231年–1237年)
  7. ボードゥアン2世(ラテン皇帝)(1228年–1261年)

参考 Wikipedia

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