デヴシルメ
デヴシルメの様子 ©Public Domain

デヴシルメ


デヴシルメ (15世紀〜17世紀)

オスマン帝国の奴隷・官僚の徴収制度。トルコ語で「集める」の意。被征服地であるバルカン半島のキリスト教徒の優秀な男子を強制的に徴用し、イスラームに改宗後、適性に応じた訓練を施した。イェニチェリや高級官僚として、帝国の中枢で活躍する人材を供給するシステムとなった。

デヴシルメ

オスマン帝国の奴隷・官僚の徴収制度。トルコ語で「集める」の意。被征服地であるバルカン半島のキリスト教徒の優秀な男子を強制的に徴用し、イスラームに改宗後、適性に応じた訓練を施した。イェニチェリや高級官僚として、帝国の中枢で活躍する人材を供給するシステムとなった。

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オスマン帝国の統治機構

デヴシルメ
デヴシルメの様子 ©Public Domain

オスマン帝国がバルカン半島を占領後、デヴシルメによってキリスト教徒の少年を徴集、改宗させ、軍事訓練をほどこして編成した常備歩兵軍団がイェニチェリである。強健・美貌の者が選抜されたエリート兵士で、身分は奴隷だがオスマン帝国の主力軍団となった。17世紀以後はスルタン位の継承に干渉し、宮廷騒動の一因となった。

図はスレイマン1世とイェニチェリのデヴシルメの様子を描いている。

参考 山川 詳説世界史図録

アジア諸地域の繁栄

トルコ世界のイラン世界

オスマン帝国の拡大
領内に多様な民族・言語・宗教をもつ住民を抱えるオスマン帝国の統治体制は、イスラームを支配の原理にすえ、一方で多様な民族の共存をはかりながら、これを中央集権的機構によって統治した。中央では、スルタンは政治・外交・軍事の全権を大宰相(サドラザム)にゆだね、大宰相の主宰する御前会議によって国事がはかられ、書記官僚によって全国に法令(カーヌーン)や命令が伝達された。軍の中核は、スルタン直属の奴隷軍団(カプクル)で、なかでもイェニチェリと呼ばれる歩兵軍団は、忠実かつ強力な軍団として知られていた。
オスマン帝国の統治機構
オスマン帝国の統治機構 ©世界の歴史まっぷ

地方では、ティマールと呼ばれる軍事封土を授与し、戦時には一定数の従士を率いて出征することを義務づけ、最小の封土保有者がシパーヒーと呼ばれる騎士であった。

地方は、30余の州(エヤーレト)に分けて総督(ベイレルベイ)を任命し、ティマール制を施行する直轄領(バルカン・アナトリア・シリア)とそれ以外の納税だけを義務づけられた間接統治領の2種類があった。前者では、綿密な検知にもとづき、軍人に封土を授与し、農民はもとより職人・商人・遊牧民から徴税がおこなわれた。各州は、さらに県・郡に分けられ、末端の郡はカーディー(裁判官)が行政の責任を負った。大宰相を頂点とする高官や軍事の支柱たるイェニチェリを供給するため、デヴシルメ制がとられた。他方、裁判をはじめとする法行政は、ウラマーにゆだね、各郡にはカーディーが任命され、シャリーア(イスラーム法)にもとづいて裁判をおこなった。首都イスタンブルのシャイフ・アルイスラーム(イスラームの長老)は、ウラマーの代表として、スルタンを含め為政者がイスラーム法から逸脱した行為をおこなうとこれを規制する権限をもった。

デヴシルメ

バルカンのキリスト教徒の8〜20歳の男性を強制徴用し、これをスルタンの奴隷として宮廷や軍団で教育し、有能なものを軍団長・地方総督・宰相として登用する制度。ヨーロッパやアジア・アフリカの征服に活躍したイェニチェリ軍団も、この制度を用いて編成された。15〜17世紀まで続き、能力によって一介の農民の子が軍団長や大宰相などに昇進し、故郷に錦を飾ることもあった。

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