イスファハーンのイマーム広場
イスファハーンは、紀元前6世紀からの歴史をもつイラン有数のオアシス都市。モンゴル・ティムール朝によって崩壊したが、16世紀末サファビー朝全盛期のアッバース1世が、『コーラン』に記された楽園を理想としてイラン高原に築いた都で、イマーム広場にある青タイルを張りつけた「王のモスク」の正面玄関の天井は、美しいつくりで有名である。世界遺産。
イスファハーンのイマーム広場
「イスファハーンは世界の半分」と称された
回廊に組み込まれる形で宮殿やモスクが建造されており、その中のアリー・カプー宮殿は、15世紀のティムール朝の宮殿にアッバース1世が2層の建物を付設したものである。宮殿内の壁は、鳥や人物の細密画で埋めつくされ、最上階には音楽ホールを備えている。
イマーム広場の中で最大のモスクは、アッバース1世の命令により建造された高さ47mのドームをもつイマームのモスクで、1630年に完成した。モスクの中庭は、モスクをメッカの方向にあわせるために、イマーム広場から約45度ずれている。ブルーで統一されたこのモスクが「男性のモスク」と呼ばれるのに対し、「女性のモスク」と呼ばれるのが、黄色のタイルで飾られたシャイフ・ロトフォッラー・モスクである。アッバース1世の父の名を冠した、王家専用のモスクとなっている。これらのモスクには、彩色タイルによって彩られた幾何学的なアラベスク模様があしらわれており、偶像崇拝が禁止されたイスラム文化で発達した高い芸術性と技術の高さをみることができる。
現在のイランの国境の始まり
現在のイランはイスラーム教シーア派の国である。その歴史はサファヴィー朝に始まる。長い異民族支配の歴史を打ち破り1501年に建国したサファヴィー朝は、スンニ派のオスマン帝国に対抗し、イラン人の民族意識を高めるためシーア派を国教とした。