ミケランジェロ・ブオナローティ
ミケランジェロ肖像画(Jacopino del Conte画/メトロポリタン美術館蔵)©Public Domain

ミケランジェロ・ブオナローティ


ミケランジェロ・ブオナローティ( A.D.1475〜A.D.1564)

盛期ルネサンス様式を確立した、メディチ家、ローマ教皇に仕えた彫刻家、画家、建築家である。強い意志と個性、非凡な才は、彫刻作品「ダヴィデ」、システィーナ礼拝堂のフレスコ画「最後の審判(ミケランジェロ)」などに表現されている。レオナルド・ダ・ヴィンチと同様「万能人」に数えられる、ルネサンス三代巨匠のひとり。

ミケランジェロ・ブオナローティ

彫刻、壁画で不朽の傑作を残す

ルネサンス三代巨匠のひとり。89歳の生涯で残した作品は、彫刻、絵画、建築、詩と多方面にわたり、ミケランジェロもレオナルド・ダ・ヴィンチ同様「万能人」に数えられる。20歳前後で制作した2つの彫刻、非キリスト教的『バッカス』と、聖母マリアの嘆きを表す『ピエタ(ミケランジェロ)』で名声を得た。

その後フィレンツェ市庁におかれた『ダヴィデ像』を制作し、ユリウス2世(ローマ教皇)の墓廟設計も任された。絵画の代表作はシスティナ礼拝堂の壁画。窮屈な姿勢を4年間続け、骨が曲がりながらも完成したシスティーナ礼拝堂天井画と、その約30年後に着手した祭壇画『最後の審判(ミケランジェロ)』である。「絵画の彫刻」と呼ばれた立体的で豪壮なフレスコ画は、ルネサンスの最高傑作として知られる。

晩年は、早世したラファエロを引き継ぎ、サン・ピエトロ大聖堂修築の主任になるとともに、死ぬまで『ピエタ(ミケランジェロ)』の制作に取り組んだ。

ミケランジェロの描いたシスティナ礼拝堂の壁画には、教皇ら実在の人物が風刺的に描かれ、イエスや使徒が全裸で表現されていた。傑作にもかかわらず批判を浴びたため、弟子たちが腰布を補筆したという。
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ミケランジェロが描いた名画の真相

レオナルドとの競作、フィレンツェ市庁舎の壁画の依頼がくると、ミケランジェロは目を輝かせた。「サン・ピエトロのピエタ」「ダヴィデ像(ミケランジェロ)」などの傑作彫刻で、彫刻家としての名声は得ていたが、絵画は不慣れなミケランジェロ・ブオナローティは、新たな挑戦に意欲をみせた。20歳以上も年長のレオナルド・ダ・ヴィンチにライバル心をむき出しにして下絵にとりかかるが、突然、ユリウス2世(ローマ教皇)にローマによばれ、この仕事は実現しなかった。

ユリウス2世(ローマ教皇)の霊廟制作の依頼を受け、紆余曲折の末、ヴァチカン宮殿内システィーナ礼拝堂天井画の制作を命じられた。

「彫刻家の私に絵を描けとは。私は本業以外の仕事はしません。」

約1000平方メートルの天井にフレスコ画を描くには、17メートルの足場を組み、首を曲げながら窮屈な姿勢を強いられる。また天井からは、漆喰のこなや絵の具が顔や体にしたたり落ちるだろう。過酷な労働条件に拒絶反応を示したが、教皇の強制的な命令に従うしかなかった。

1508年5月、天井画制作がスタート。ミケランジェロは助手も使わずたった一人で孤独な作業にとりかかった。少ない報酬のもと苦痛にもだえながら、4年の歳月をかけて完成した「天地創造(ミケランジェロ)」は、躍動感に満ちた力強い作品だ。不自然な姿勢から彼の背中の骨は曲がってしまったが、まさに至難の業の末、ルネサンスの最高傑作が産み落とされたのだ。

美の殿堂システィナ礼拝堂完成

約30年後、66歳のミケランジェロは、同じ礼拝堂の祭壇画「最後の審判(ミケランジェロ)」を完成させた。依頼主は、ユリウス2世(ローマ教皇)から4代後のパウルス3世(ローマ教皇)であった。イエスとマリアを中央に据え、祝福されて天国に昇っていく者と、罪を犯し地獄に落ちてゆく者が入り乱れる。おどろおどろしいまでの人間の欲望や悪徳が浮き彫りになり、鬼気迫るものがる。400人余りの大群像は、老境に入った彼の、心象風景そのものなのかもしれない。システィナ礼拝堂は、彼によってキリスト教の一大叙事詩を誇る大空間となり、キリスト教芸術の頂点の一つとなったのである。

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近代ヨーロッパの成立

ルネサンス

イタリア・ルネサンスの美術と天才たち
ミケランジェロ
ミケランジェロは陰鬱で寡黙、態度も粗暴なところがあったが、どこか人を惹きつける魅力をもっていたようである。彼の芸術家としての腕は多くの人の認めるところで、制作依頼は絶えなかった。フィレンツェの市庁から依頼されたのは、大理石の大作『ダヴィデ』像、レオナルド・ダ・ヴィンチとの競作が話題をさらったパラッツォ・ヴェッキオの大会会議の壁画の制作、ユリウス2世(ローマ教皇)から依頼されたのは、記念墓碑、そしてローマのシスティーナ礼拝堂天井画などである。彼は助手も使わず、4年間、足場の上にへばりついて、あの巨大な壁画を独力で完成させた。彼はその後も、システィナ礼拝堂の正面壁画「最後の審判(ミケランジェロ)」の制作、サン・ピエトロ大聖堂の円蓋の設計など依頼されているが、彼自身が好んだのは大理石の彫刻であった。彼は石に関する知識と技術にすぐれ、イタリアで最良の大理石の採石場であるカラーラの石切り場にしばしば足を運んで石を選んだ。彼は「私は余分なものを取り除くだけで、そうすると彫刻がそこに現れるのだ」と述べている。
『ロンダニーニのピエタ』
ミケランジェロ作『ロンダニーニのピエタ』Wikipedia

ロンダニーニのピエタ」は彼が工房において死ぬ前日まで手を加えていた作品である。大理石を削ぎ落としたノミの跡を残し、痩せ細った肉体を掘り出しているこの作品は、子の死に対する母の悲しみを、いっさいの余分なものを取り除いて表現しようとしたのであろうか。

当時の芸術家は工房の共同作業で職業訓練を受け、技術を磨いた。芸術家と職人は分化したものでなく、建築・絵画・彫刻のどれもに携わった。このような環境のなかから レオン・バッティスタ・アルベルティ(1404年〜1472年)や レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年〜1519年)、 ミケランジェロ・ブオナローティ(1475年〜1564年)のような万能の天才が生まれた。

盛期ルネサンス様式を確立したミケランジェロ・ブオナローティは、メディチ家、ローマ教皇に仕えた彫刻家、画家、建築家である。強い意志と個性、非凡な才は、彫刻作品「ダヴィデ」、システィーナ礼拝堂のフレスコ画「最後の審判(ミケランジェロ)」などに表現されている。

イタリア・ルネサンスの美術と天才たち – 世界の歴史まっぷ

詳説世界史研究

ギャラリー

バチカン市国
システィーナ礼拝堂天井画(ミケランジェロ画/システィーナ礼拝堂) Wikipedia

ヴァチカン宮殿システィーナ礼拝堂天井画

ミケランジェロ・ブオナローティ
『アダムの創造』(ミケランジェロ作/システィーナ礼拝堂蔵(ヴァチカン)©Public Domain

天井画「アダムの創造」(天地創造の一部) 主題は旧約聖書の「創世記」の一場面。天地創造の6日目、創造主の神(右)が自分に似せて土からつくった最初の人アダム(左)に生命を吹き込んでいる場面。最も有名なこの場面は天井画のほぼ中央、頭上21mにある。

ルネサンス 最後の審判(ミケランジェロ)
最後の審判(ミケランジェロ) (ミケランジェロ画/システィーナ礼拝堂・ヴァチカン) ©Public Domain

システィナ礼拝堂の正面壁画「最後の審判(ミケランジェロ)」はシスティーナ礼拝堂天井画の完成から約20年後、礼拝堂正面の祭壇画に着手した。彼の描く筋肉隆々のイエス・キリストが世界の終末に再臨し、凄まじい怒りのエネルギーで善人を蘇らせ昇天させ、悪人を地獄に追い落としている。総勢391人ともいわれる大群像劇。

バチカン市国
『サン・ピエトロのピエタ』Wikipedia

十字架の刑ののちマリアにいだかれ絶命したイエス像を彫った「ピエタ」は、ミケランジェノのものとして3点知られている。そのうちサン・ピエトロ大聖堂のものは、「ミケランジェロが想像しえた最も美しい女性と最も端正な男性とを彫刻した」と評され、至高の宗教性を表現している。この聖母が30歳をすぎた息子をいだく母としては若すぎるという批判もあるが、そうした現実性を超越した作品といえよう。

ミケランジェロ・ブオナローティ
ダヴィデ像(ミケランジェロ)(ミケランジェロ作/アカデミア美術館蔵)©Public Domain

メディチ家のフィレンツェ追放に大きな役割を果たした、ルネサンス美術を含む芸術否定論者にしてフィレンツェの指導者だったドミニコ会修道士ジロラモ・サヴォナローラは失脚し、1498年に処刑された。代わってゴンファロニエーレのピエロ・ソデリーニが台頭して、以前とは状況が変わったフィレンツェ共和国に、ミケランジェロは1499年から1501年にかけて帰還している。ミケランジェロは羊毛ギルドの参事たちに、40年前に彫刻家アゴスティーノ・ディ・ドゥッチオによって開始されたものの、さまざまな理由で放棄されていた彫刻群制作計画の完遂を申し込まれた。このときミケランジェロに打診されたのは、フィレンツェの自主性を表す象徴として壮大なダヴィデの彫刻を制作し、ヴェッキオ宮殿に面したシニョリーア広場に設置するというものだった。ミケランジェロが、この最も有名な代表作といえる『ダヴィデ像』を完成させたのは1504年である。イタリア北部の都市カッラーラの採石場から切り出され、前任者による大まかな下絵が描かれていた大理石を原材料として制作されたこの『ダヴィデ像』が、ミケランジェロが持つ彫刻家としてのたぐいまれな才能、技量、創作力への評価を決定的なものとしたのである。

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同時代の人物

塚原卜伝

戦国時代の武芸者。鹿島神宮祝部の卜部覚賢の次男で、塚原城主安幹の養子となる。実父と養父から刀槍術を学んで達人となり、将軍足利義輝らに剣術を伝授した。

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