カペー朝
カペー朝の紋章 Wikipedia

カペー朝


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ヴァロワ朝

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カペー朝( A.D.987〜A.D.1328)
フランス王国の最初の王朝。西フランク王国カロリング朝が断絶したため、ロベール1世(西フランク王)の孫のパリ伯ユーグ・カペーが即位してはじまったが、諸侯勢力の前に王権はふるわず典型的な封建社会を現出させた。13世紀半ばに内政・外交とも安定し、フランスは西ヨーロッパ国際政治の中心的地位を占めた。

カペー朝

世界史対照略年表(1300〜1800)
/>世界史対照略年表(1300〜1800) ©世界の歴史まっぷ

ヨーロッパ世界の形成と発展

ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ
ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

西ヨーロッパ世界の成立

西フランク

西フランク王国(フランス)でも、シャルル2世(西フランク王)(禿頭王)の晩年から政情が乱れ、フランキア・ネウストリア・ブルゴーニュ・アキテーヌ・フランドルなど大諸侯がしだいに豪族化していった。その頃西フランクを悩ませたのがノルマン人の侵入であった。すでに9世紀前半から沿岸部に来航していたが、同世紀半ばにはセーヌやロワールの河口に定住し、川をさかのぼって内陸部にも侵入するようになった。
885年、セーヌ川中流のパリがロロ(徒歩王)率いるノルマン人に攻囲された時、これに耐えてパリを防衛したのがパリ伯、ロベール家のウードであった。大諸侯は、ノルマン人と屈辱的な協定を結んでいたシャルル肥満王(カール3世(フランク王))を廃位し、かわってウードを王国に推戴した(ウード(西フランク王))。
しかし、カロリング家の断絶とともに、ロベール家の血を引くパリ伯ユーグ・カペーが即位し、フランス王国のカペー朝を開いたが、諸侯勢力の前に王権はふるわず典型的な封建社会を現出させた。

西ヨーロッパ中世世界の変容

フランスの封建社会と三部会

フランスでは、カペー朝において典型的な封建社会( 封建制)が成立した。諸侯勢力が強大で、王領も北部を中心とする極めて狭い地域に限られていた。加えて12世紀の半ばには、イギリスに成立したプランタジネット朝によりフランスの国土の半分が領有されたため、カペー家のフランス統一は妨げられた。しかし、同世紀末に登場したフィリップ2世(フランス王)は、官僚制を整備して王領地の管理に努めるとともに、都市との結びつきを強めて諸侯を牽制し、王権の強化をはかった。そして、ジョン(イングランド王)との戦いや南フランスへのアルビジョワ十字軍などを通じて、王領地を西部や南部にも拡大していった。

13世紀半ばのルイ9世(フランス王)の治世には、内政・外交とも安定し、フランスは西ヨーロッパ国際政治の中心的地位を占めた。

アンジュー帝国の拡大地図
アンジュー帝国の拡大地図
封建制・荘園制の崩壊 封建社会の衰退と中央集権国家の成立図
封建社会の衰退と中央集権国家の成立図 ©世界の歴史まっぷ

フランス王権をさらに強めたのが、フィリップ4世(フランス王)である。彼はギュイエンヌ・フランドル両地方に支配を拡大しようとして、エドワード1世(イングランド王)と争ったが、所期の狙いは達成できず、問題の解決をのちの百年戦争にまで持ち越した。だが、この戦争に要する費用を捻出するため、フィリップが聖職者への課税を強行したことから、ボニファティウス8世(ローマ教皇)との衝突が生じた。1302年、彼はパリに聖職者・貴族・平民の代表からなる三部会(全国三部会)を招集、その支持を得て翌年アナーニで教皇を捕らえた(アナーニ事件)。
この三部会が、フランスの身分制議会の始まりとされる。

フィリップ4世と三部会

三部会には全国三部会と地方三部会とがある。全国三部会は通算60回開かれたが、そのうち最初の2回はフィリップ4世の時代に行われている。
第1回がアナーニ事件の前年(1302)、第2回がテンプル騎士団事件の年(1308)である。いずれも教皇との対立の中で、国王が国内勢力を味方につけるために開かれた。フィリップは王室財政の補充と集権化の障害を除くために、フランスに本拠を移していたテンプル騎士団を異端として解散させることをもくろんだ。しかし、異端審問権は教皇にしかなかったから、これを国王にも特例として認めさせるため、1308年、トゥールに全国三部会を開いたのである。そして、目論見どおり、騎士団の所領・財宝を没収し、団長以下修道士たちを異端として処刑した。ただ、フィリップのこの頃の全国三部会はまた整備されておらず、代表の選出方法や会期などは曖昧なままであった。

詳説世界史研究

後のヴァロワ朝ブルボン朝、オルレアン朝に至るまでフランス王国の歴代王朝はみなカペー家の分族から出た(例外は第一帝政時代の皇帝ナポレオン1世と第二帝政時代の皇帝ナポレオン3世の2人だけであり、どちらも1代限りの帝位に終わった(ボナパルト朝))。現在のスペイン王家(スペイン・ブルボン家)の祖先であり、現在のルクセンブルク大公家も男系ではカペー家の流れをくむ。

歴代国王

カペー朝 987年 – 1328年

在位開始 在位終了 先代との関係
ユーグ・カペー(Hugues Capet) 987年7月3日 996年10月24日 ロベール1世の孫
ロベール2世(フランス王)(敬虔王)(Robert II le Pieux) 996年10月24日 1031年7月20日 ユーグ・カペーの子
アンリ1世(フランス王)(Henri Ier) 1031年7月20日 1060年8月4日 ロベール2世の子
フィリップ1世(フランス王)(Philippe Ier) 1060年8月4日 1108年7月29日 アンリ1世の子
ルイ6世(フランス王)(肥満王)(Louis VI le Gros) 1108年7月29日 1137年8月1日 フィリップ1世の子
ルイ7世(フランス王)(若年王)(Louis VII le Jeune) 1137年8月1日 1180年9月18日 ルイ6世の子。第2回十字軍に参加
フィリップ2世(フランス王)(尊厳王)(Philippe II Auguste) 1180年9月18日 1223年7月14日 ルイ7世の子
ルイ8世(フランス王)(獅子王)(Louis VIII le Lion) 1223年7月14日 1226年11月8日 フィリップ2世の子
ルイ9世(フランス王)(聖王)(Saint Louis) 1226年11月8日 1270年8月25日 ルイ8世の子
フィリップ3世(フランス王)(豪胆王)(Philippe III le Hardi) 1270年8月25日 1285年10月5日 ルイ9世の子
フィリップ4世(フランス王)(端麗王)(Philippe IV le Bel) 1285年10月5日 1314年11月29日 フィリップ3世の子
ルイ10世(フランス王)(喧嘩王)(Louis X le Hutin) 1314年11月29日 1316年6月5日 フィリップ4世の子
ジャン1世(フランス王)(遺腹王)(Jean Ier le Posthume) 1316年11月15日 1316年11月20日 ルイ10世の子
フィリップ5世(フランス王)(長身王)(Philippe V le Long) 1316年11月20日 1322年1月3日 フィリップ4世の子,ルイ10世の弟
シャルル4世(フランス王)(美男王)(Charles IV le Bel) 1322年1月3日 1328年2月1日 フィリップ4世の子,ルイ10世・フィリップ5世の弟

参考 フランス王国

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