ミトラダテス1世 (?〜紀元前138?)
アルサケス朝パルティア王国の王(在位前171年〜前138年)。領土を拡大し、イラン高原一帯を征服、パルティアの最盛期をを現出し、諸王の王を名乗った。メソポタミアを併合したのち、ティグリス川東岸のクテシフォンを都に定めた。
ミトラダテス1世
イラン高原を席巻
アルサケス朝第6代の王(アルサケス6世エウエルゲテス・ディカイオス・ピレレン)。領土を拡大、イラン高原一帯を征服した。
オリエントと地中海世界
古代オリエント世界
バクトリアとパルティア
紀元前2世紀半ばのミトラダテス1世のときに国力はさかんとなり、セレウコス朝の東の都・ティグリス河畔のセレウキアを陥れると、その対岸のクテシフォンに冬営地を設けた。各地を転々としていたパルティアの首都は、やがてこのクテシフォンに定まった。
その領域は東方ではバクトリア・大月氏・クシャーナ朝と国境を接し、西はユーフラテス川にいたる広大なものであった。この領土を支配するためにパルティアの王たちは、アケメネス朝の統治組織を継承して中央集権制を確立しようと努めた。
アケメネス朝の王にならって「諸王の王」と称し、属州には有力家系の知事を配置し、交通路の整備にも力を注いだ。しかしパルティア国家は、有力家系の連合体という性格を最期まで脱することができず、そのため国内の地方勢力の台頭を抑えることもできなかった。他方、征服者であり支配者である遊牧民と、被征服者である先住農耕民との融合は徐々に進み、文化的には征服者が被征服者の影響をうけるという現象が起こった。
パルティアとササン朝の文化
宗教的にも徐々にイラン色が濃くなり、ゾロアスター教が信奉されるようになったが、ミトラダテスと名乗るパルティア王がいたことからみて、ミトラ神への信仰も強かったと思われる。バビロニア地方ではセム系とイラン系の宗教混合も進んだ。