ハールーン=アッラシード( A.D.763〜A.D.809)
アッバース朝第5代カリフ(在位786年〜809年)。みずからビザンツ遠征し輝かしい成果をおさめ、東西貿易の発展と灌漑農業の拡大によってアッバース朝最盛期を現出。首都バグダードは「世界に並ぶもののない都市」としてその繁栄を謳歌し、『千夜一夜物語』に登場。フランク王国のカール大帝などと使節の交換を行った。
ハールーン=アッラシード
アッバース朝を繁栄させた傑出した君主
アッバース朝3代カリフの父と奴隷出身の母との子。アッバース朝5代カリフとなり、在位期間は20数年の長きにわたるが、親政を始めたのは、宰相らを粛清してから。即位17年後のことである。
ハールーン自ら遠征して、東ローマ帝国との戦いに勝利。朝貢させる事を条件に講和した。また、フランク王国のカール大帝やインド王とも使節の交換を行った。産業・貿易に力を注ぎ、化学・芸術を奨励。自ら詩作するなどして文学も開花させた。アッバース朝には黄金期が訪れ、首都バグダットは「世界に比類なき都」と呼ばれた。
ハールーンは、アラビアの物語集『千夜一夜物語』に風流なカリフとして登場することでも有名。
『千夜一夜物語』で語られるカリフ
アッバース朝第5代カリフ。『千夜一夜物語』ではアッバース朝全盛期のカリフとされる。即位から17年後、宰相ヤフヤーとその2人の息子を粛清して親政を開始。ビザンツ遠征で輝かしい成果を収める。しかし、国内情勢は不安定で、衰退の兆しが見えていた。
イスラーム世界の形成と発展
イスラーム帝国の成立
イスラーム帝国の分裂
一方、東方のアッバース朝では、東西貿易の発展と灌漑農業の拡大によって、ハールーン=アッラシード(786〜809)の時代に黄金時代が訪れた。
9〜10世紀のバグダードは、「世界に並ぶもののない都市」としてその繁栄を謳歌することができた。しかしラシードが没すると、まもなくイランのホラーサーン地方でターヒル朝(821〜873)が独立を宣言し、ついで鍛冶職人(サッファール)から身を起こしたヤークーブは、同じくイラン東部にサッファール朝(867〜903)を樹立した。また、アム川以東の中央アジアでは、イラン系の土着貴族がサーマーン朝(875〜999)を建国し、サッファール朝を破ってホラーサーンの全域を支配した。
- イスラーム帝国の分裂 – 世界の歴史まっぷ
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ世界の成立
カール大帝(シャルルマーニュ)
ローマ教会はカール大帝の西ローマ帝国戴冠を計画した。カール大帝は東ローマ帝国との不和を恐れたものの、広大な領土の統治のためにローマ皇帝の権威も必要であった。レオ3世(ローマ教皇)(795〜816)は反対派の攻撃をカール大帝の保護で乗り切ると、800年、ローマのサン・ピエトロ大聖堂において、カールにローマ皇帝の冠を授与した。ここに、かたちのうえで西ローマ帝国が復活したのである(カールの戴冠)。
まもなく東ローマ帝国との関係が悪化すると、カール大帝はイスラム帝国アッバース朝第5代ハールーン=アッラシードと提携して対抗し、やがて東ローマ帝国もカール大帝の西ローマ帝国皇帝位を承認することになった(812)。
同時代の人物
カール大帝 (742〜814)
フランク王国カロリング朝第2代国王(在位:768年 – 814年)。カロリング朝を開いたピピン3世(小ピピン)の子。フランク王国の最盛期を現出。ローマ教皇より西ローマ皇帝の冠を授けられ(800年カールの戴冠)、フランク王国は東ローマ帝国から独立した。フランス語でシャルルマーニュ、カール1世(シャルル1世)とも呼ぶ。