アブー・アル=アッバース
Folio from a Tarikhnama (Book of history) by Balami ©Public Domain

アブー・アル=アッバース


アブー・アル=アッバース ( A.D.722〜A.D.754)
アッバース朝初代カリフ(在位750 〜754)。
預言者ムハンマドと同じハーシム家であるアッバース家は、マワーリーやシーア派ムスリムの協力もえてスンナ派ウマイヤ朝打倒の秘密運動を展開。イラン東部のホラーサーン地方で蜂起し、749年イラクの州都クーファに入城。翌年革命軍に初代カリフに推戴され、イスラーム帝国としてのアッバース朝が成立した。

アブー・アル=アッバース

血塗られたアッバース朝の創始者

アッバース朝初代カリフ。通称アブー・アル=アッバース。預言者ムハンマドの叔父アッバースの血を引く。革命運動の中心人物だった兄イブラーヒームの死後、革命軍に推戴され即位を宣言。血の粛清を行い、アリー家に心を寄せる宰相アブー・サラマなどを殺害した。

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イスラーム世界の形成と発展

イスラム王朝 17.イスラーム世界の発展 イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

イスラーム帝国の成立

イスラーム帝国の成立

アラブ人ムスリムの間には、預言者ムハンマド家の出身者こそがイスラーム共同体の指導者にふさわしいとする考えが広まりつつあった。この一員に属するアッバース家は、この思想をたくみに利用し、マワーリーやシーア派ムスリムの協力もえてウマイヤ朝打倒の秘密運動を展開した。
イラン東部のホラーサーン地方で蜂起した革命軍は、ウマイヤ朝の軍隊を追って西方に進出し、749年にはイラクの州都であるクーファに入城、翌年アブー・アル=アッバース(サッファーフ)(位750〜754)を初代カリフに推戴した。イスラム帝国としてのアッバース朝(750〜1258)の成立である。

クライシュ族の系図 クライシュ族
クライシュ族の系図 ©世界の歴史まっぷ
しかしウマイヤ朝を打倒したアッバース朝も、安定した政権維持のためには、やはり多数派であるスンナ派の宗旨を採用せざるをえなかった。革命運動に協力したシーア派の期待は裏切られ、弾圧によって数多くのシーア派ムスリムの命が奪われた。
アッバース朝国家の基礎を築いたのは、第2代カリフのマンスール(カリフ)(754〜775)である。彼は王朝建設に功績のあったホラーサーン軍を重用し、カリフ権力の第一の支えとした。
ホラーサーン軍:イランのホラーサーン地方に定着したアラブ軍人の子孫を中心に編制された軍隊。
タラス河畔の戦い アッバース朝 15.東アジア文化圏の形成 8世紀の世界地図 15.東アジア文化圏の形成
8世紀の世界地図 ©世界の歴史まっぷ

詳説世界史研究

同時代の人物

坂上田村麻呂(758〜811)

平安初期の武将・公卿。791年(延暦10)、征夷大将軍大伴弟麻呂のもとに征東副使として蝦夷を討ち、ついで征夷大将軍となった。802年に胆沢いさわに築城し、蝦夷地平定に大きな足跡を残す。その生涯は模範的武将として尊敬され、征夷大将軍の職名は、長く武門の栄誉とされた。

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