ジョージ=ワシントン
ジョージ=ワシントン(ギルバート・ステュアート画/スターリン・フランシーン・クラーク・アート・インスティテュート蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

ジョージ=ワシントン


ジョージ=ワシントン George Washington( A.D.1732〜A.D.1799)
アメリカ建国期の軍人、政治家。アメリカ合衆国初代大統領(在任1789〜1797)。アメリカ独立軍の総司令官として独立戦争を勝利に導き、大統領として国家の基礎を築いた。

ジョージ=ワシントン

アメリカ建国期の軍人、政治家。初代大統領(在任1789~97)。バージニア北部の富裕なプランター(大農場主)の家に生れ、17歳でカルペッパー郡の公認測量士となった。

  • 1753年 先住民族インディアンの鎮撫工作にあたる
  • 1754年 バージニア民兵軍150人を率いてオハイオ川流域地方に進軍しフランス軍と交戦して敗北。
  • 1755年 イギリスのE.ブラドック将軍の指揮下にデュケーヌ要塞に拠るフランス軍の攻撃に参加し敗退。
  • 1758年 J.フォーブス将軍に協力してデュケーヌ要塞攻略に成功。
  • 1759年 バージニアの富裕な未亡人M.カスティスと結婚、プランテーション経営に精を出す。
  • 1765年 印紙法施行以後反英的立場を強める
  • 1773年 枢密院令と翌74年のケベック法により西方への土地投機の機会を奪われて憤慨し、独立を決意。
  • 1774年 アメリカ植民地はイギリス本国の圧政に対し大陸会議を組織する。
  • 1775年 6月15日第2回大陸会議によって全植民地軍総司令官に任命。7月4日にはアメリカ独立宣言を公布
  • 1776年 春ボストンからイギリス軍を追出すことに成功。ニューヨークへ転戦し連敗しながらニュージャージーへ退却。
  • 1776年 12月トレントンとプリンストンの奇襲に成功し、勝利への転機をつかむ。
  • 1777年 冬のフォージ渓谷の越冬宿営などで批判を受け更迭の陰謀をめぐらされる。
  • 1781年 8~10月アメリカ=フランス連合軍を指揮してヨークタウンを攻略、イギリスのC.コーンウォリス将軍を降伏させる(ヨークタウンの戦い)。
  • 1782年 ジョージ=ワシントンを国王に擁立しようとする動きを断固拒否する。
  • 1783年 アメリカ軍を率いてニューヨーク市に凱旋し、軍務を退く。その後マウントバーノンの農園に戻り、4年間を所有地の管理に過ごす。
  • 1785年 自邸で開かれたポトマック川航行権に関する会議をきっかけに、強力な中央政府設立の動きがにわかに高まる。
  • 1787年 フィラデルフィアで合衆国憲法制定会議が開かれ、その議長に選出された。
  • 1789年 4月初代大統領に就任し、財務長官にA.ハミルトン、国務長官にT.ジェファソンを据えて、公債の償還、財政の安定、イギリス軍基地の撤去、ミシシッピ川航行権の確保、インディアンの制圧などの国内問題やフランス革命をめぐる複雑な外交問題に取り組む。
  • 1797年 三選出馬を辞退してマウントバーノンに引退、所有地の管理に専念する。
  • 1798年 フランスとの戦争の危機に際して再び臨時編成軍の総司令官に任命されそうになったが運よく危機は回避される。
  • 1799年 悪性喉頭炎で死去。

 

参考 ブリタニカ国際大百科事典

寄せ集めの兵隊で大苦戦

1776年7月4日、アメリカに独立宣言書が公布された。イギリスが陸兵3万2000、水兵1万の正規軍を送り込んできたのは、その直後のことだ。迎え撃ったのがジョージ=ワシントンである。ワシントンは英領ヴァージニア植民地の中流地主の子に生まれた。20歳の時に兄が死に、民兵隊長の地位を継いだ。26歳のとき、連れ子が2人いる未亡人と結婚し、広大な農園と150人あまりの奴隷を手に入れた。そして43歳で植民地軍総司令官の大任に就いたのである。

ラシュモア山4人のアメリカ大統領の彫刻
ラシュモア山4人のアメリカ大統領の彫刻 画像出典:WIKIMEDIA COMMONS

左からジョージ=ワシントン, トマス=ジェファソン, セオドア=ルーズベルト, エイブラハム=リンカーン

兵の士気は高かった。だが彼らは農民兵にすぎない。武器も訓練も不十分、軍服も食料も不足がちでとても職業軍人の敵ではなかった。独立国アメリカとしての最初の会戦「ロングアイランドの戦い」で英国軍はたちまちニューヨークを占拠、ワシントンは苦を強いられる。強い敵、寒さと飢えと疫病。6ヶ月の野営で植民地軍の死者は2万5000を数えた。ルイ16世(フランス王)が派遣したフランス兵に助けられ、ようやく勝利を収めたのは、約5年も後の1781年のことである。

我こそ正義:今でも敬愛されるワシントンだが、アメリカ先住民に対しては容赦なかった。彼らを「生贄の獣」と呼び、対応策は民族浄化、すなわち皆殺しによる絶滅を目指していた。

参考 ビジュアル 世界史1000人(下巻)

欧米における近代社会の成長

アメリカ独立革命

独立戦争の開始と独立宣言

1775年4月、本国軍と植民地民兵の最初の武力衝突がボストン郊外のレキシントンとコンコードでおこった(レキシントン・コンコードの戦い)。植民地側の武器弾薬庫の接収にむかった本国軍と、ミニットマンと呼ばれる現地住民の民兵の衝突であった。

この直後の5月、第2回大陸会議がフィラデルフィアで開かれ、大陸軍が組織され、ジョージ=ワシントン(1732〜1799)が最高司令官に任命された。

ヨークタウンの戦い 戦争の経過とパリ条約 北アメリカの植民地 13植民地地図
13植民地地図 ©世界の歴史まっぷ
戦争の経過とパリ条約

ジョージ=ワシントンの率いる大陸軍は、数万のイギリスの正規軍を相手に苦戦を続けた。植民地兵は勇敢ではあったが、正規の軍事訓練をうけていなかった。将校たちの指揮経験も少なく、いくつかの先頭で敗北を続けた。しかし彼らは敗北から学ぶ能力をもっていた。

アメリカ合衆国憲法の制定

合衆国憲法にもとづいた新しい政府は、1789年ジョージ=ワシントン大統領(任1789〜1797)として発足した。ワシントンは新しい首都建設の地としてコロンビア特別区を設置し、1800年、第2代大統領ジョン・アダムズ(1735〜1826 任1797〜1801)は首都をフィラデルフィアからここに移し、ワシントン特別区(Washington.D.C)とした。

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詳説世界史研究

ワシントン内閣

ワシントン内閣 画像出典:WIKIMEDIA COMMONS

左から:大統領G.ワシントン、陸軍長官H.ノックス、財務長官A.ハミルトン(立っている)、国務長官T.ジェファソン、司法長官E.ランドルフ

アメリカ合衆国1ドル札

1928年発行された最初の1ドル札のジョージ=ワシントンの肖像(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain
同義語
ジョージ・ワシントン

同時代の人物

平賀源内 (1728〜1779) 

浪人暮らしの発明家、戯作者、本草学者。長崎で壊れたエレキテルを入手、7年がかりで修理しアメリカ独立宣言が採択された1776(安永5)年、復元に成功した。

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