ドラクロワ Delacroix( A.D.1798〜A.D.1863)
フランスのロマン主義絵画の画家。光り輝く色彩と自由な技法でギリシア独立戦争支援を訴える「キオス島の虐殺」を描いた。1831年七月革命を描いた「民衆をみちびく自由の女神」を発表し地位を確立。
ドラクロワ
フランスのロマン主義絵画の画家。光り輝く色彩と自由な技法で、ギリシア独立戦争支援を訴える「キオス島の虐殺」を描いた。
欧米における近代国民国家の発展
ウィーン体制
ギリシア独立戦争
「キオス島の残虐」:キオス島でのオスマン軍(ムハンマド=アリーの派遣したエジプト軍)による虐殺のさまを描いたもので、「ヨーロッパの故郷」ギリシアの奪還に関して世論に影響を与えた。ドラクロワ画(1824/パリ・ルーヴル美術館蔵)。
また西欧諸国では、知識人を中心にギリシアは文化の故郷という意識があったので、イギリスの熱情詩人バイロン Byron (1788〜1824)のように義勇軍として参戦するものも現れた。フランスのロマン派画家ドラクロワ Delacroix (1798〜1863)は「キオス島の残虐」を描いて世論の独立支持に貢献した。一方、オスマン帝国は同じ複合民族国家であるオーストリアのメッテルニヒに支援を期待したが、えられなかった。
19世紀欧米の文化
美術と音楽
ロマン主義絵画
「民衆を導く自由の女神」七月革命の栄光の3日間を題材にした、ロマン主義画家ドラクロワの作品。トリコロール(三色旗)を掲げて民衆を導く自由の女神を中心に、右横には二丁の拳銃を持つパリのわんぱく小僧、左横にはドラクロワ自身とされるシルクハットの男性、その足元には自由のための戦いでの死者が描かれている。
19世紀に入って生まれたロマン主義絵画は、情熱的で幻想的な点を特徴とし、フランスのジェリコ T.Géricault (1791〜1824 テオドール=ジェリコー)によって創始され、ドラクロワ Delacroix (1798〜1863)が指導して当時の主流となった。ドラクロワはギリシア独立戦争の際、「キオス島の虐殺」を描いて独立運動支援の世論を高め、当時絵画の虐殺とさえ酷評される激しさを表現した。1831年に七月革命を描いた「民衆を導く自由の女神〈副題「1830年7月28日」〉」を発表してその地位を確立した。