ジョン万次郎 ( A.D.1827〜A.D.1898)
本名中浜万次郎。1841年、太平洋上で漂流し、鳥島でアメリカ船により救助される。アメリカで教育を受け、1852年、土佐に帰国。坂本龍馬らに英学を教え、咸臨丸の通訳として遣米使節に加わった。
ジョン万次郎
本名中浜万次郎。1841年、太平洋上で漂流し、鳥島でアメリカ船により救助される。1852年、土佐に帰国。坂本龍馬らに英学を教え、咸臨丸の通訳として遣米使節に加わった。
幕藩体制の動揺
幕府の衰退
列強の接近
漂流民
江戸時代の早い時期から漂流民はいたが、朝鮮や中国沿海、南方の島々に漂着した場合、朝鮮の船やオランダ船で長崎に送還された。運よく帰還できても、キリスト教の信者となっていないかなど、厳しく取り調べられた。しかし、帰国できた漂流民がもたらした海外事情は貴重で、漂流記は写本のかたちで広まり、また、ロシア領に漂着し、女帝エカチェリーナ2世に謁見までした大黒屋光太夫から、桂川甫周が聴取して編纂した『北槎聞略』などは、重要なロシア研究書ともなった。中浜万次郎(ジョン万次郎)のように、アメリカで教育を受け、帰国したのちは幕府の通訳などになって活躍した者もいる。