カルロヴィッツ条約 Karlowitz
A.D.1699〜
オスマン帝国がオーストリア・ポーランド・ヴェネツィアに領土を割譲した講和条約。オーストリアにハンガリーとトランシルヴァニアを、ヴェネツィアにモレアとダルマツィアなどをゆずり、オスマン帝国の勢力は大きく後退した。
カルロヴィッツ条約
1699年 オスマン帝国がオーストリア・ポーランド・ヴェネツィアに領土を割譲した講和条約。オーストリアにハンガリー・トランシルヴァニアなどをゆずり、オスマン帝国の勢力は大きく後退した。
アジア諸地域の動揺
オスマン帝国支配の動揺とアラブのめざめ
オスマン帝国支配の動揺
バルカン半島では、ハプスブルク家オーストリアとロシアの南下が始まった。オスマン帝国は、第2次ウィーン包囲(1683)に失敗して手痛い打撃をうけ、1699年のカルロヴィッツ条約 Karlowitz では、オーストリアにハンガリーとトランシルヴァニアを、ヴェネツィアにモレアとダルマツィアを割譲することとなった。さらに1768〜74年のロシア=トルコ戦争に大敗を喫し、クチュク=カイナルジャ条約によって、黒海の北岸をロシアに譲り、黒海の自由通航権を認めた。1792年には再びロシア=トルコ戦争に敗れ、クリミア半島を割譲した。このようにオスマン帝国の弱体化から明らかになると、中東全域へのヨーロッパ諸国の侵略が開始された。