トルコマンチャーイ条約 Torkomanchay
A.D.1828〜
第2次イラン=ロシア戦争の講和条約としてロシアとカージャール朝間で締結した不平等条約。ロシアにアルメニアを割譲し領事裁判権を認めた。以後諸外国とも不平等条約を締結させられ、列強の侵略が本格化した。
トルコマンチャーイ条約
第2次イラン=ロシア戦争の講和条約として、ロシアとカージャール朝のあいだに締結された不平等条約。カージャール朝はロシアにアルメニアを割譲し、領事裁判権を認めた。この条約を契機に、カージャール朝は諸外国とも不平等条約を締結し、列強のイランへの干渉の道を開いた。
アジア諸地域の動揺
オスマン帝国支配の動揺とアラブのめざめ
カージャール朝とアフガニスタン
19世紀以降は帝政ロシアが南下政策をとり、カフカスや中央アジアへの領土拡大をねらっていた。1810年にまずグルジアを併合し、カージャール朝はこれを奪回しようと遠征軍を送ったが敗北し、ゴレスターン条約 Golestan (1813)によって北アゼルバイジャンを譲った。1826年に再度カフカスに遠征しロシアと戦ったが、これに敗れ、トルコマンチャーイ条約 Torkomanchay (1828)によってアルメニアを失い、さらに治外法権と市場の開放を認めた。東方ではアフガニスタンをめぐってイギリスと衝突し、1841年の講和でロシアと同様の不平等条約を結ばされ、56年にはヘラートを攻撃したが、イギリスに阻まれた。
西アジアの動向 イラン・アフガニスタン
イラン・アフガニスタン | |
1722 | ロシア軍、イランに侵入 |
1736 | サファヴィー朝滅亡、アフシャール朝成立 |
1739 | アフシャール朝のナーディル=シャー、デリー占領(〜40) |
1747 | アフガン王国独立 |
1750 | イランにザンド朝成立(〜94) |
1794 | カージャールのアーガー=ムハンマド、ザンド朝を滅ぼす |
1796 | アフシャール朝滅亡、カージャール朝成立 |
1804 | 第1次イラン=ロシア戦争(カージャール朝敗北) 1813年ゴレスターン条約条約(ロシアに北アゼルバイジャンを譲る) |
1826 | 第2次イラン=ロシア戦争(カージャール朝敗北) 1828年トルコマンチャーイ条約(ロシアに治外法権を認め、東アルメニア割譲) |
1838 | 第1次アフガン戦争、イギリスの侵略失敗(〜42) |
1848 | バーブ教徒の反乱(〜52) |
1857 | イギリス=イラン戦争終結(56〜) |
1869 | アフガーニ、カイロに移住、活動再開 |
1878 | 第2次アフガン戦争(〜80) → イギリス軍、カブール占拠 |
1891 | イラン、タバコ=ボイコット運動 |