タバコ=ボイコット運動
タバコ喫煙の禁忌令(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

タバコ=ボイコット運動


タバコ=ボイコット運動( A.D.1891〜A.D.92)

カージャール朝の財政困窮のため、イギリス人業者に領内のタバコの原料買い付けから流通に関する利権を付与したことに対し、商人やウラマーたちがおこした反英・反国王の運動。イラン全国で利権破棄まで喫煙する者はいなかった。イラン=ナショナリズムの起点とされる。

タバコ=ボイコット運動

カージャール朝がイギリス人業者に領内のタバコの原料買い付けから流通に関する利権を付与したことに対し、商人やウラマーたちがおこした反英・反国王の運動。イラン=ナショナリズムの起点とされる。

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1891~92年に展開されたイラン最初の民族運動。19世紀後半イランのカージャール朝の財政は困窮し、このためにイランの富の開発権を利権として外国人資本家に譲渡した。その結果、王朝はイギリスとロシアの利権屋に囲まれた。それまでイランのたばこ(主として水たばこ)の栽培、加工、販売、輸出はイラン人商人が握っていたが、王朝はこれを専売制にして、その利権を90年3月イギリス人G.トルボトに譲渡した。この利権契約を知ったイランのたばこ商人はこれに反対し、全商人も同調し、これを受けたウラマー(イスラム聖職者)が反対運動に立上がった。このためアゼルバイジャンでは専売公社は支店を開くことさえできず、生産地をもつシーラーズでは知事と衝突した。テヘランではアーシティヤーニーが先頭に立ち、反対運動を組織した。教界の最高権威シーラージーはこれをイスラムの危機と受止めて、禁煙の教令を発した。この教令はイラン全国で守られて、利権破棄まで喫煙する者はいなかった。このボイコット運動は勝利して王朝はこの利権を破棄した。

参考 ブリタニカ国際大百科事典

アジア諸地域の動揺

オスマン帝国支配の動揺とアラブのめざめ

カージャール朝とアフガニスタン

1890年にタバコの専売利権をイギリス人に譲ることが契約されると、国内のタバコ商人やバザール商人の間に不満が広まった。アフガーニーは、王朝の利権譲渡がイランの民族的危機を招くことを指摘し、専制とイギリス支配への抵抗を呼びかけた。十二イマーム派の最高指導者は、各地の宗教指導者やアフガーニーの呼びかけに応え、91年12月にタバコ喫煙の禁忌令を発し、イラン人はいっせいに喫煙をやめ、抵抗を示した。タバコ=ボイコット運動の広がりをまえに、92年1月政府は利権を廃止した。この運動によってイラン人の民族意識は高揚し、宗教指導者をリーダーとする改革運動が勢いを増していった。

西アジアの動向 イラン・アフガニスタン

イラン・アフガニスタン
1722ロシア軍、イランに侵入
1736サファヴィー朝滅亡、アフシャール朝成立
1739アフシャール朝のナーディル=シャー、デリー占領(〜40)
1747アフガン王国独立
1750イランにザンド朝成立(〜94)
1794カージャールのアーガー=ムハンマド、ザンド朝を滅ぼす
1796アフシャール朝滅亡、カージャール朝成立
1804第1次イラン=ロシア戦争(カージャール朝敗北)
1813年ゴレスターン条約条約(ロシアに北アゼルバイジャンを譲る)
1826第2次イラン=ロシア戦争(カージャール朝敗北)
1828年トルコマンチャーイ条約(ロシアに治外法権を認め、東アルメニア割譲)
1838第1次アフガン戦争、イギリスの侵略失敗(〜42)
1848バーブ教徒の反乱(〜52)
1857イギリス=イラン戦争終結(56〜)
1869アフガーニ、カイロに移住、活動再開
1878第2次アフガン戦争(〜80) → イギリス軍、カブール占拠
1891イラン、タバコ=ボイコット運動
参考:山川 詳説世界史図録
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