イギリス=ビルマ戦争 (ビルマ戦争, 1824〜1826、52〜53、85〜86)
イギリスとコンバウン朝の3回にわたる戦争。コンバウン朝は、第1回でサルウィン川以南のアラカン・テナセリムを、第2回でイラワディ川下流地域の下ビルマを失った。その後、コンバウン朝はフランスに接近したが、警戒したイギリスに第3回の戦争をしかけられ、滅亡した。
イギリス=ビルマ戦争
イギリスとコンバウン朝の3回にわたる戦争。コンバウン朝は、第1回でサルウィン川以南のアラカン・テナセリムを、第2回でイラワディ川下流地域の下ビルマを失った。その後、コンバウン朝はフランスに接近したが、警戒したイギリスに第3回の戦争をしかけられ、滅亡した。
アジア諸地域の動揺
南アジア・東南アジアの植民地化
大反乱とインド帝国の成立
植民地政策を進めるイギリスは、フランスのインドシナ経営に対抗してミャンマー(ビルマ)領有をくわだて、1824年以降3回にわたる戦争(イギリス=ビルマ戦争, 英緬戦争 Anglo-Burmese War, 1824〜26, 1852〜53, 1885〜86)によってコンバウン朝を倒し、全ミャンマーを併合してインド帝国の1州とした。
大陸部の植民地化
ミャンマー(ビルマ)のコンバウン朝(アラウンパヤー朝, 1752〜1885)は、アラカン・アッサム方面への進出を試みたが、同じくこの地に野心を抱くイギリスと交戦して敗れ(イギリス=ビルマ戦争)、これらの地を失った(1824〜26, 第1次ビルマ戦争 Anglo-Burmese War)。つづいてイギリスはミャンマー側の条約違反などを口実に戦端を開き、ミャンマー南部を併合した(1852〜53, 第2次ビルマ戦争)。ミャンマー側はフランスと結びこれに対抗しようとしたが、イギリス側は些細な問題を口実に王を捕らえて王朝を滅ぼし、ミャンマー北部を併合した(1885〜86, 第3次ビルマ戦争)。こうして全ミャンマーはカルカッタを首都とするインド帝国の1州とされた(1935年にインド帝国から分離される)。
年表
アジア諸地域の動揺年表
1757 | プラッシーの戦い(ムガル帝国) |
1805 | ムハンマド=アリー、エジプト総督に就任(オスマン帝国) |
1816 | 英使節アマースト来航(清朝) |
1821 | ギリシア独立戦争(〜29)(オスマン帝国) |
1824 | 第一次ビルマ戦争(〜26) |
1828 | トルコマンチャーイ条約(カージャール朝) |
1839 | 第二次エジプト=トルコ戦争(〜40) |
1840 | アヘン戦争(〜42)(清朝) |
1851 | 太平天国(〜64)(清朝) |
1853 | クリミア戦争(〜56) |
1856 | アロー戦争(〜60)(清朝) |
1857 | インド大反乱(〜58) |
1858 | ムガル帝国滅亡(英の直接統治) |
1862 | 洋務運動始まる(清朝) |
1869 | スエズ運河開通 |
1876 | 日朝修好条規 ミドハト憲法発布(オスマン帝国) |
1877 | ロシア=トルコ戦争(〜78)(オスマン帝国) インド帝国成立 |
1881 | ウラービーの反乱(〜82)(エジプト) イリ条約(ロシア・清朝) |
1884 | 清仏戦争(〜85) |
1887 | 仏領インドシナ連邦成立 |
1894 | 甲午農民戦争(朝鮮) 日清戦争(〜95) |