日露和親条約 (日露通好条約 ( A.D.1855〜)
幕末の1855年に締結。正しくは日露通好条約。日米和親条約に準じ、下田・箱館・長崎を開港。この長崎は、最恵国待遇によりアメリカ・イギリスにも開かれた。千島は択捉・得撫島を国境、樺太は国境を定めず雑居地とした。
日露和親条約
1855年に締結。正しくは日露通好条約。日米和親条約に準じ、下田・箱館・長崎を開港。この長崎は、最恵国待遇によりアメリカ・イギリスにも開かれた。千島は択捉・得撫島を国境、樺太は国境を定めず雑居地とした。
アジア諸地域の動揺
東アジアの激動
明治維新
対外的には、幕末の1855年(安政元年12月)にロシアとの間で日露和親条約が結ばれ、千島列島の択捉島(エトロフ)以南を日本領、得撫島(ウルップ)以北をロシア領とし、樺太(サハリン)を両国民雑居の地と定めていたのに対し、1875年に樺太・千島交換条約を結んで、全樺太をロシア領、全千島を日本領と定めた。
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