樺太・千島交換条約
A.D.1875〜
日本とロシアが国境を画定した条約。樺太をロシア領とし、そのかわりにウルップ以北の千島列島を日本領とした。1905年のポーツマス条約で失効した。
樺太・千島交換条約
日本とロシアが国境を画定した条約。樺太をロシア領とし、そのかわりにウルップ以北の千島列島を日本領とした。1905年のポーツマス条約で失効した。
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東アジアの激動
明治維新
対外的には、幕末の1855年(安政元年12月)にロシアとの間で日露和親条約が結ばれ、千島列島の択捉島(エトロフ)以南を日本領、得撫島(ウルップ)以北をロシア領とし、樺太(サハリン)を両国民雑居の地と定めていたのに対し、1875年に樺太・千島交換条約を結んで、全樺太をロシア領、全千島を日本領と定めた。
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