第3次伊藤内閣( A.D.1898〜A.D.1898)
地租増徴案などの増税案を議会に提出。自由・進歩党に拒否され、衆議院解散。憲政党が結成されたため半年足らずで退陣し、隈板内閣に譲る。
第3次伊藤内閣
地租増徴案などの増税案を議会に提出。自由・進歩党に拒否され、衆議院解散。憲政党が結成されたため半年足らずで退陣し、隈板内閣に譲る。
近代国家の成立
日露戦争と国際関係
日清戦争後の政府と政党
1898(明治31)年には、第3次伊藤内閣は、戦後経営のための恒常的な財源を確保するため、地租増徴案を議会に提出したが、自由党と進歩党はともにこれに反対し、同案は否決された。衆議院は解散されたが、同年6月、自由党と進歩党は合同して憲政党を結成し、来るべき総選挙で衆議院の絶対多数を制する形勢となった。その結果、伊藤内閣は退陣し、伊藤はじめ元老たちの推薦を受けた大隈重信と板垣退助が組閣を命ぜられ、大隈を首相とし憲政党を与党とする日本で最初の政党内閣を組織するにいたった。
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