元老
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元老( A.D.1889〜A.D.1940)

明治国家の創成に抜群の功労のあった元勲待遇者と、それに準ずる者をいう。天皇の最高顧問だが非公式の地位。首相の推薦や重要政策に関与し、藩閥勢力を擁護、民主勢力の発展を阻止するなど、絶大な影響を持った。当初の黒田清隆伊藤博文山県有朋松方正義井上馨西郷従道・大山巌に桂太郎西園寺公望らが加わった。

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明治国家の創成に抜群の功労のあった元勲待遇者と、それに準ずる者をいう。天皇の最高顧問だが非公式の地位。首相の推薦や重要政策に関与し、藩閥勢力を擁護、民主勢力の発展を阻止するなど、絶大な影響を持った。当初の黒田清隆・伊藤博文・山県有朋・松方正義・井上馨・西郷従道・大山巌に桂太郎・西園寺公望らが加わった。

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日本近代史上、明治中期の内閣制度創設から昭和初期まで存在した政界の超憲法的重臣。天皇の下問に答えて内閣首班の推薦を行い、国家の内外の重要政務について政府あるいは天皇に意見を述べ、その決定に参与するなどの枢機を行なった。成文法で定められた役職ではなく、慣習上の制度としてつくられ、明治憲法下における支配体制維持のための機能を果した。元老と呼ばれれたのは伊藤博文、山県有朋、井上馨、黒田清隆、西郷従道、大山巌、松方正義、桂太郎らで、1940年最後の元老であった西園寺公望の死とともに消滅した。

参考 ブリタニカ国際大百科事典

元老の一覧

元老一覧(日本)

氏名出身生没年元老受命年月日
伊藤博文長州1841年(天保12年) - 1909年(明治42年)1889年(明治22年)11月1日受
黒田清隆薩摩1840年(天保11年) - 1900年(明治33年)1889年(明治22年)11月1日受
山県有朋長州1838年(天保9年) - 1922年(大正11年)1891年(明治24年)5月6日受
松方正義薩摩1835年(天保6年) - 1924年(大正13年)1898年(明治31年)1月12日受
井上馨長州1836年(天保7年) - 1915年(大正4年)1904年(明治37年)2月18日受
西郷従道薩摩1843年(天保14年) - 1902年(明治35年)正式の任命手続きを経ていない。
大山巌薩摩1842年(天保13年) - 1916年(大正5年)1912年(大正元年)8月13日受
桂太郎長州1848年(嘉永元年) - 1913年(大正2年)1912年(大正元年)8月13日受
西園寺公望公家1849年(嘉永2年) - 1940年(昭和15年)1912年(大正元年)12月21日受

元老(日本)

188918911892?1898190019021904190919121913191519161922192419341940
伊藤博文
黒田清隆
山縣有朋
西郷従道
松方正義
井上馨
大山巌
桂太郎
西園寺公望
重臣会議
帯の始めは受命年(重臣会議は制度創設年)、終わりは終任年(死去年)

近代国家の成立

日露戦争と国際関係

日清戦争後の政府と政党

1898(明治31)年には、第3次伊藤内閣は、戦後経営のための恒常的な財源を確保するため、地租増徴案を議会に提出したが、自由党と進歩党はともにこれに反対し、同案は否決された。衆議院は解散されたが、同年6月、自由党と進歩党は合同して憲政党を結成し、来るべき総選挙で衆議院の絶対多数を制する形勢となった。その結果、伊藤内閣は退陣し、伊藤はじめ元老たちの推薦を受けた大隈重信板垣退助が組閣を命ぜられ、大隈を首相とし憲政党を与党とする日本で最初の政党内閣を組織するにいたった。このいわゆる隈板内閣わいはんないかく第1次大隈内閣)は、首相大隈·内相板垣以下、陸相・海相以外はすべて憲政党員からなっていた。

立憲政友会を基礎として1900年10月に成立した第4次伊藤内閣は半年余りで終わったが、これを機に伊藤・山県らは第一線を退き、元老として内閣の背後から政治を動かすようになった。

元老

伊藤博文・山県有朋・黒田清隆・松方正義・井上馨・西郷従道・大山巌(1842〜1916)の7人に、明治末期以降、桂太郎・西園寺公望の2人が加わった。公家出身の西園寺を除けばいずれも薩長両藩出身の藩閥政治家であり、明治時代に首相を経験した者は大隈重信を除いて、すべて元老に列せられた。元老については、憲法はもとよりそのほかの法令でも何ら明文上の規定はなかったが、彼らはいずれも明治国家の建設に大きな力があった長老級の有力政治家で、天皇の諮問に応じて重要な国務、とくに内閣更迭にあたって後継の首相を推薦したり、重要な外交問題に参画するなど、事実上、明治国家運営の最高指導者の役割を果たした。

  • 日清戦争後の政府と政党 – 世界の歴史まっぷ
桂園時代

日露戦争を通じて、日本の国内政治にもいろいろな変化が現れた。日露戦争後の1906(明治39)年、第1次桂内閣は退陣し、第1次西園寺内閣が成立したが、これ以後、藩閥・官僚勢力や陸軍をバックとした桂太郎と、衆議院の第一党である立憲政友会の総裁西園寺公望とが「情意投合じょういとうごう」して交互に内閣を組織するというかたちが続き、いわゆる桂園時代が訪れた。山県有朋をはじめとする藩閥政治家の長老は元老として、各種の重要国務に参画し、後継首相の推薦などを通じて政界に隠然たる勢力をふるっていた 。

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