アメリカ=スペイン戦争
アメリカ=スペイン戦争風刺画(Manuel Moliné i Muns画/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

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アメリカ=スペイン戦争 (米西べいせい戦争) A.D.1898〜

合衆国とスペインとの間でおこった戦争。キューバの反スペイン独立運動支援と、ハバナ港における米軍艦メイン号の爆沈を口実に、合衆国から開戦した。キューバとともに、スペイン植民地のフィリピンも両国の戦場となった。

アメリカ=スペイン戦争

合衆国とスペインとの間でおこった戦争。キューバの反スペイン独立運動支援と、ハバナ港における米軍艦メイン号の爆沈を口実に、合衆国から開戦した。キューバとともに、スペイン植民地のフィリピンも両国の戦場となった。

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帝国主義とアジアの民族運動

帝国主義と列強の展開

アメリカ合衆国

国内でフロンティアが消滅するにつれ、工業製品を輸出するために海外進出を求める声が高まった。海外市場の獲得と西半球の防衛体制の確立を目的とするアメリカの帝国主義政策は、アングロ=サクソンの人種的優越の優越も加わって広く国民の支持するところとなった。キューバのスペインからの独立運動への支持をアメリカの新聞が扇情的に書き立てていたこともあって、1898年、共和党のマッキンリー大統領 Mckinley (任1897〜1901)はアメリカ軍艦メイン号爆沈事件 をきっかけにスペインに宣戦布告した(アメリカ=スペイン戦争 米西戦争)。

アメリカはかねてからキューバ人のスペインからの独立運動に同情的であった。1898年2月、キューバのハバナに停泊中のアメリカ軍艦メイン号が謎の爆撃事件をおこし、多数の乗組員が死亡した。アメリカのハースト系の新聞が証拠もないのにスペインの陰謀だと国民世論をあおるなか、4月にアメリカ=スペイン戦争が勃発した。

その結果、プエルトリコとグアムをスペインに割譲させ、さらにフィリピンも領土とした。また、同じ年、ハワイ島を併合し、カリブ海と太平洋に領土を拡大した。なお、キューバは独立したものの、プラット修正条項(1901)によって事実上アメリカの保護国となった。

世界分割と列強対立

太平洋諸地域の分割
太平洋の分割(20世紀初め)
太平洋の分割(20世紀初め)©世界の歴史まっぷ

アメリカ合衆国は1898年アメリカ=スペイン戦争の結果、スペインからフィリピングアムを獲得した。

ラテンアメリカ諸国の従属と抵抗

アメリカ合衆国はヨーロッパ諸国の西半球への影響を排除するモンロー主義の立場にたつ一方で、1889年に第1回パン=アメリカ会議を開いた。それはアメリカとラテンアメリカ諸国との間の友好と経済関係を促進することをねらいとしたが、アメリカのパン=アメリカニズムには実際には西半球における行動の自由と優越を確保しようという意図が隠されていた。こうしてアメリカはイギリス・スペインなどの影響を排除し、ラテンアメリカ全般に強い指導力を行使した。1898年のアメリカ=スペイン戦争を通じてアメリカはプエルトリコを自治領とし、キューバを事実上の保護国とした。さらにパナマ運河 アメリカ合衆国)を完成させたあとは、ニカラグア・ハイチ・ドミニカなどの内政に軍事干渉するなど帝国主義政策を展開した。

アジア諸国の改革と民族運動

列強の中国侵略

同じころ、アメリカでは共和党のマッキンリー大統領による帝国主義的膨張政策が本格的に開始され、アメリカ=スペイン戦争(米西戦争 1898)でフィリピンとグアム島を獲得し、太平洋から中国への進出の気運が高まっていた。このためアメリカは、1899年に国務長官ジョン=ヘイ John Hay (1838〜1905)の名で門戸開放宣言を発表して、中国市場の門戸開放と列国の機会均等(中国市場の門戸は諸外国に平等に開かれるべきであり、特定国による特殊権益の独占は不公正であること)の原則を提唱し、翌年には中国の領土保全を唱えた。これは、中国進出に遅れをとったアメリカが、先行する列強を牽制しながら、中国市場への割りこみを意図したものであった。

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