ハンムラビ王 Hammurabi
バビロン第1王朝第6代の王 (在位紀元前1792年頃 - 紀元前1750年頃)。全メソポタミアを統一、運河を含む交通網を整備し商業を発展させた。官僚機構を整備し中央集権国家を建設した。
ハンムラビ王
- ハンムラビ王:バビロン第1王朝第6代の王 (在位紀元前1792年頃 - 紀元前1750年頃)。全メソポタミアを統一、運河を含む交通網を整備し商業を発展させた。官僚機構を整備し中央集権国家を建設した。
- ハンムラビ法典:ハンムラビ王が制定した法典。シュメールのウルナンム法典などを継承した成文法。1901〜02年フランス調査隊がスサで、楔形文字による原文が刻まれた石碑を発見した。刑法・商法・民法などを含む全282条からなり、後文に「強者が弱者を虐げないように」制定したとある。
参考 古代オリエント博物館ガイド
古代バビロニアを統一したアムル人の王
ハンムラビは、古代バビロニア、第6代の王である。メソポタミアに、シュメール人が青銅器を用いた文明を築いたのが紀元前3000年頃。その後、同じ地にセム系遊牧民のアムル人が築いた王国が古代バビロニア(バビロン第1王朝)である。
ハンムラビは、30年に及ぶ征服戦争の末、チグリス・ユーフラテス川中・下流域全土(バビロニア地方)の統一を果たした。
ハンムラビは、道路を整備し、運河を整えて灌漑施設を充実させた。そして警察や郵便の制度を確立した。
裁判の公平さ、官吏の綱紀粛正には、特に心を砕いたという。
同害同復の原則と身分別の細かい規定
この法典は、民法・刑法・商法・訴訟法を含んだ、それまでの諸法典の集大成で、大工が手を抜いたために家が壊れて主人が死んだ場合は大工も死刑になることや、借金した人が盗賊に借りた金を奪われたときは返済しなくてもよいなど、非常に細かく規定した。
ハンムラビ王の時代、メソポタミア南部の木材不足は深刻であった。王は、「1本の枝でも傷つけた者は、生かしてはおけぬ」として厳しい処置をとったという。
法典の編纂で名を残した正義の王
アッカド王国は5代100年を過ぎた頃から衰えはじめ、統一が回復するのはウル第3王朝、ついでバビロン第1王朝6代目のハンムラビのときになる。ハンムラビは軍事的な成功よりむしろ法典の編纂によって名を残した。ハンムラビ法典は、「一般市民の目を損なったも者は、その視力を奪われる」「他人の奴隷に損害を与えた者は、その奴隷の値の半分を支払わなければならない」など全282条からなり、形式はすべて仮定形である。弱者の救済と社会正義の確立を強調している点に大きな特徴があり、法典の後文ではハンムラビは自らを「正義の王」と呼んでいる。
ハンムラビの死後
ハンムラビ王の死後、ヒッタイト人はバビロニア王国を壊滅したが、領土に興味のないヒッタイト人は略奪後引き上げたため、バビロンに傭兵や農業労働者として移住していたカッシート人が奪回し、カッシート人の支配下となる。エジプトではヒクソス人の侵入により下エジプトはヒクソス人の支配下となった。
オリエントと地中海世界
古代オリエント世界
シュメール人とセム語系諸族
紀元前3千年紀の末になると、ウル第3王朝のもとで一時シュメール勢力の復興がみられる。しかしやがて、シリア砂漠よりセム語系遊牧民のアムル人が大挙してメソポタミアに侵入した。彼らは紀元前19世紀には、バビロンを都とする古バビロニア王国(バビロン第1王朝)を樹立し、紀元前18世紀の第6代王ハンムラビのとき、全メソポタミアを統一して中央集権国家に発展した。ハンムラビ王は運河の大工事を行って治水・灌漑を進める一方で、シュメール法を継承して集大成したハンブラビ法典を制定して、領内の多民族の統一支配に努めた。282条からなるこの法典は他分野にわたる規定を設けているが、とくに刑法は「目には目を、葉には歯を」の復讐法の原則と、身分によってことなった刑罰を課す身分原理にたっているのが注目される。