KBSドラマ 明成皇后
李氏朝鮮末期、欧米列強の影響が大きかった時代、第26代王・高宗の妃・明成皇后(閔妃)と、その義父・興宣大院君(高宗の父)との20年以上に渡る権力闘争、改革派(開化派)と守旧派(事大党)の路線闘争、さらに朝鮮半島をめぐる日本の安全保障問題、日本と清の覇権争い、日清戦争後の日本とロシア帝国の覇権争いなど過酷な状況を生きた朝鮮半島の悲しい世界。
明成皇后(閔妃)は乙未事変で暗殺され、その首謀者については諸説あるが、本作では伊藤内閣を含めた日本の犯行として描いている。
全124話と、膨大な時間を掛けて、李氏朝鮮末期から、日清戦争、明成皇后の暗殺を経て、大韓帝国として独立した過程を、明治時代の日本、列強に犯される清を挟んだ、近代化という技術の強さに鎖国ゆえの無知が弱さとなり翻弄されながらも、500年の歴史という誇りで虚勢を張り、紆余曲折する。
KBSドラマ 明成皇后
明成皇后 で描かれている史実
李氏朝鮮 1863年-1895年
()は明成皇后の年齢
- 1863年(満12歳)
- 興宣大院君政権の成立。
- 1866年(満15歳)
- 閔妃(明成皇后)が李氏朝鮮第26代王・高宗の妃となる。
- 丙寅邪獄。ジェネラル・シャーマン号事件。丙寅洋擾。
明成皇后 第9話
- 1868年(満17歳)
- 宮女李尚宮との間に高宗の長子(完和君)生まれる。
- 英国商戦とドイツ人商人のオッペルトらが開港断れ、南延君の墓を荒らす。
- 大院君は天主教迫害・鎖国・攘夷政策強化する。
- 書契問題
- 1871年(満19歳)
- 辛未洋擾
明成皇后 第18話
- 閔妃(明成皇后) 男子出産するが数日後死亡
- 1872年(満20歳)
- 朝鮮大飢饉
- 1873年(満21歳)
- 崔益鉉 興宣大院君の財政政策と鎖国攘夷政策を非難する上疏し癸酉政変のきっかけをつくる。後2年間済州島へ流刑される。
- 興宣大院君追放、閔氏政権の成立。
- 仁宣王后によって興宣大院君が行った改革を一夜で覆す。
明成皇后 第25話
- 閔妃(明成皇后)の宮殿に仕掛けられた爆弾が爆発
明成皇后 第38話
- 1874年(満22歳)
- 閔妃(明成皇后) 男子「李坧」出産(後の純宗)
- 庶子・完和君と嫡子を推す神貞王后派と、嫡子・坧(純宗)を世子とする明成皇后派の間で争い。
- 閔氏一族の最高実力者である義兄・閔升鎬宅に爆弾、閔升鎬宅と実母・感古堂イ氏ら死亡。
明成皇后 第39話
- 1875年(満23歳) 高宗12年
- 嫡子・坧(純宗)が王世子となる。
明成皇后 第43話
- 江華島事件 勃発。
- 書契問題
明成皇后 第45話
- 1876年(満24歳)
- 江華島事件を口実に朝鮮との修好条約を目的に江華島に日本の軍艦が出現
- 日本と修好し戦争を避ける意見(明成皇后派)と、戦争をしてでも修好を拒もうとする意見(興宣大院君派)が対立
- 雲峴宮(興宣大院君邸)が民衆に攘夷を煽る
- 崔益鉉が儒生を集め、日朝修好条規締結反対の持斧上訴を行う。
明成皇后 第48話
- 雲峴宮(興宣大院君邸)が民衆に親日派の閔妃(明成皇后)と閔氏一族を叩き潰そうとを煽る。
- 崔益鉉 黒山島に流刑され、雲峴宮に煽られた民衆も大院君から去る。
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朝鮮の主権放棄(治外法権)という屈辱的な内容に大臣が誰も気付かずに日本の明治政府と日朝修好条規締結する。(
日朝修好条約規の主な内容
- 第一款 朝鮮は独立国であり、日本と同等の権利を有す
- 第二款・第三款 両国が使者を送る際に必要な内容。(両国が相互にその首都に公使を駐在させること等)
- 第四款・第五款 開港地に関する内容。(すでに日本公館が存在する釜山以外に2港を選び開港すること。開港においては土地を貸借し家屋を造営しあるいは所在する朝鮮人の家屋を賃借することも各人の自由に任せること。)
- 第六款・第七款 日本の船の朝鮮沿岸での自由航海を認める内容。(朝鮮の沿岸は島嶼岩礁が険しく危険であるため、日本の航海者が自由に沿岸を測量してその位置や深度を明らかにして地図を編纂して両国客船の安全な航海を可能とするべし。)
- 第八款・第九款 日本の承認のための条約。(通商については、各々の人民に任せ、自由貿易を行うこと。両国の官吏は少しもこれに関係してはならない。貿易の制限を行ったり、禁止してはならない。しかし詐欺や貸借の不払いがあれば両国の官吏はこれを取り締まり追徴すべし。)
- 第十款 開港地で両国人が違法行為をした場合、各国の法で処分する。(日本人が開港にて罪を犯した場合は日本の官吏が裁判を行う。また朝鮮人が罪を犯した場合は朝鮮官吏が裁判を行うこと。しかし双方は、その国法をもって裁判を行い、すこしも加減をすることなく努めて公平に裁判することを示すべし。)
- 第十一款・第十二款 付随的な項目。
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明成皇后 第50話
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朝鮮修信使・金綺秀が日本から帰国し、日本の近代化を高宗に報告。(日朝修好条規締結の際、日本側は自国の実情を朝鮮側に見せるために黒田派遣の回礼使の派遣を朝鮮側に要請し、同年5月に金綺秀ら修信使として明治天皇や外務卿寺島宗則と会見して各地の施設を見学した。)
明成皇后 第51話
- 1877年(満25歳)
- 張尚宮が男子出産 李堈(後の義親王) 高宗の5男。
明成皇后 第53話
- 1877年(満25歳)
- 鎖国を止揚し開港することを唱える開国論を主張し続けた、閔妃(明成皇后)の側近閔奎鎬病死する。
- 1880年(満28歳)
- 庶子・完和君変死。
明成皇后 第44話
- 1881年(満29歳)高宗18年
- 日本の協力で設立された朝鮮の新式軍隊別技軍結成。
- 1882年(満30歳)
- 閔氏一族の高官閔台鎬の娘が世子嬪(王太子妃)(後の純明孝皇后閔氏)と婚礼を挙げる。
- 朝廷を一新。各勢力の和解を図る。
- アメリカ(米朝修好通商条約)・イギリス・ドイツとも修好する。
明成皇后 第59話
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壬午事変 7月23日
- きっかけ: 財政難で軍隊への俸給米の至急が13か月遅れ、やっと支払われた米の中に砂などで水増しされていたことと優遇される別技軍との差に激怒した守旧派の兵士たちが興宣大院君派に扇動され起こした暴動がきっかけとなり、他の守旧派の軍人、家族数、貧民、浮浪者など数百人も加勢した。
- 根本的な原因: 王室中心の開化派と雲峴宮(ウニョングン)=興宣大院君 を後ろ盾とした守旧派との衝突
- 守旧派は閔謙鎬(閔妃(明成皇后)の兄・当時の最高実力者)宅を破壊し、火をつける。
- 守旧派は各軍器庫から武器を奪取し、一般民まで武装。雲峴宮雲峴宮により軍隊並みの組織にな膨れ上がり、新式軍隊別技軍までも征圧する。
- 守旧派は別技軍の日本人教官・駐在日本公使館所属の堀本禮造工兵少尉、日本人留学生・日本人外務巡視らを殺害する。
- 守旧派は日本公使館(弁理大使・花房義質)を襲撃・放火する。
- 花房らは公使館を脱出。王宮には入れず漢城脱出し、漢江を渡って仁川府へ逃走する。
- 守旧派は李最応(興寅君・大院君の兄だが明成皇后派)宅を襲撃・李最応を殺害する。
- 守旧派は宮殿を襲撃し、金輔鉉(キム・ボヒョン)・閔謙鎬(明成皇后の兄)・閔台鎬(世子の妃の父)はじめ多くの内官、閔氏一族と近い大臣らを殺害する。
- 世子を守るため高宗は興宣大院君の入宮を許可する。
- 暴徒化した守旧派は、興宣大院君でさえ制御不能となり閔妃(明成皇后)殺害しようと大殿まで襲撃する。
- 閔妃(明成皇后)は昌徳宮から脱出する
明成皇后 第63話
- 興宣大院君が政権を握る。別技軍を解体させて五軍営を復帰させ、高宗が心血を注いだ開化策を白紙に戻す。開化派を排除し、軍事権と財政権を掌握する。
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- 6月29日 日本に避難していた花房公使の指揮で軍艦4隻、輸送船3隻1500人の軍隊と、日本訪問後帰国途中の金玉均(キム・オッキュン)、徐光範(ソクァンボム)らが済物浦(チェムルポ) (仁川港)に入る。
- 日本の要求
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- 軍乱の主導者を罰すること
- 火災で全焼した公使館と負傷した日本人への賠償
- 江華島条約に従い開港地と通商を拡大すること
- 今後起こりうる朝鮮の内乱に備え日本公使館と日本人保護のために軍隊駐屯を認めること
- 清国側の対応
- 朝鮮政府内は事大党(清派)と独立党(日本派・開化派)と中間派に分裂。
- 物浦条約 8月30日
- 清国と朝鮮間で中朝商民水陸貿易章程締結。
- 1883年(満31歳)
- 財政危機を補正し乱れた通貨政策を整備する目的から、造幣機関典圜局が設置される。
- 1884年(満32歳)高宗21年
- 清仏戦争 ベトナム(越南)領有を巡るフランスと清との間の戦争勃発。そのため朝鮮に駐屯している清国軍半数(1500人)が撤収する。
- 興宣大院君が幽閉されてからの朝鮮は旧守派の事大党(清派)が政権を握り、金玉均を中心とした若手の独立党(日本派・開化派)の活動が高まる。
- ロシアと朝鮮間で修好通商条約締結。
- 甲申政変
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- 独立党(日本派)が朝鮮初の近代的な郵便行政官庁・郵政局の落成式で、竹添進一郎在朝鮮公使など日本側の協力のもとクーデターを起こし、事大党(清派)を殺害、独立党(日本派・開化派)が新政府樹立を宣言。
- 金玉均は新政府の人事・14項目の革新政策を表明する。
- 袁世凱率いる清軍1500人が、独立党・日本軍ら150人と銃撃戦となり、甲申政変は3日間で失敗に終わる。
- 金玉均、朴泳孝らは竹添公使(日本軍)と共に、髷を切り洋服を着て日本へ亡命する。
- 残った開化派人士、及び亡命者も含めた彼らの家族らも概ね三親等までの近親者が残忍な方法で処刑された。
明成皇后 第85話
- 1885年(満33歳)
- 漢城条約 甲申政変後の日本と朝鮮間の講和を目的に漢城条約を締結。日本側: 特命全権大使・井上馨、朝鮮側: 全権大臣・金弘集
- 天津条約 甲申政変後の清国と朝鮮間の講和を目的に天津条約を締結。清国側: 全権・李鴻章、日本側: 全権・伊藤博文
- 清国と日本の軍が朝鮮から撤退。
- 巨文島事件(ポート・ハミルトン事件) – 巨文島がイギリスに占領される。
- 大院君、袁世凱と共に清から帰国
- 第1次露朝密約事件
- 1886年(満34歳)
- 第2次露朝密約事件
- 1888年(満36歳)
- 露朝陸路通商条約
- 1892年(満40歳)高宗29年
- 大院君爆殺計画が失敗。
- 1894年(満42歳)
- 金玉均暗殺。上海で閔妃の刺客・洪鐘宇(ホン・ジョンウ)にピストルで暗殺される。
- 金玉均の遺体は朝鮮に運ばれ、凌遅刑に処された。
明成皇后 第92話
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甲午農民戦争(東学党の乱) 日本を放逐せんとする大院君の煽動によって農民軍が全州占領する。また、高宗を廃して高宗の兄の長子・李埈鎔 (イ・ジュンヨン)を王位に推戴しようと策定したが成功しなかった。
- 天津条約に基づき清と日本が出兵する。
- 甲午農民戦争の反乱軍と政府間で全州和約締結により和解する。
- 日本軍が王宮包囲し、大院君を擁立する。清国軍は都から撤退。
- 日清戦争勃発。
明成皇后 第95話
- 大院君は閔氏一門を罷免、流刑に処する。
- 甲午改革 日本による金弘集を中心とする政権により近代化改革をはじめる。
- 大院君は嫡長孫李埈鎔の王位擁立の策略のため、甲午農民戦争 第二次蜂起(新政権と日本軍を相手にする反乱)を扇動したが日本軍に大敗。大院君は引退し雲峴宮に幽閉される。
明成皇后 第102話
- 甲申政変に失敗して日本に亡命していた独立党(開化派)の朴泳孝(哲宗の娘婿)帰国。
- 1895年(満43歳)
- 日清休戦条約締結。
- 下関条約締結。
- 伊藤内閣、三国干渉受託。日本は遼東半島を清に返還。
- 井上馨は閔妃(明成皇后)から借款の申し入れを受け、なるべく干渉はやめて朝鮮を自立させる方針を執る。
- 高宗は、日本の協力で行っていた改革を元に戻し、国外に対しては事大先を清国からロシアに替えた。
- 井上馨に代わり三浦梧楼が朝鮮国駐箚公使として着任する。
- 朴泳孝は閔妃殺害計画謀議の嫌疑により再度日本へ亡命する。
- 三浦梧楼は帰国して伊藤博文に朝鮮内情を報告し、再度、柴四朗(小説家)・武田範之(天佑侠)・月成光(梶川光)(玄洋社)と共に朝鮮に入る。親露派の閔妃を排除する「狐狩り」を企む。
- 閔妃(明成皇后)は、日本と親日派を一掃するため、朝鮮人による侍衛隊を新規に作り、ロシア公使ヴェーバーを通してロシアから新兵器を仕入れようと試みるが、ロシアは三国干渉の後朝鮮の内政に関与しない方向に対朝方針を変更したため失敗に終わる。
- 乙未事変
- 日本の指導で組織された訓練隊の解散と武装解除を通告。失職し激昂した訓練隊は、乙未事変に利用される。
- 岡本柳之助は大院君を拉致し宮殿に向かう。
- 1895年10月8日、閔妃(明成皇后)は日本の大陸浪人、天祐挟らに殺害され、焼かれる。
明成皇后 第120話
- 三浦は総理大臣・金弘集を利用し、閔妃(明成皇后)を廃位し平民とする。
- 王太子の上訴で廃庶人閔氏(明成皇后)に嬪を与える。
- 三浦は免官、小村寿太郎が後任となる。
- (春生門事件)
- 1896年
- (乙未義兵) 断髪令に対する檄文。
- 露館播遷 高宗、ロシア公使館に移り朝鮮王朝の執政をとる。金弘集、鄭秉夏、惨殺。趙羲淵、兪吉濬らは日本へ亡命。
明成皇后 第77話
大韓帝国 1897年-1910年
- 1897年
- 大韓帝国に国号を改める。高宗は皇帝となり、閔妃は明成皇后の諡号を受ける。王太子は皇太子となる。
- 高宗、慶運宮(現在の徳寿宮)に還宮。独立国家を創設。
- 高宗の第7男子李垠誕生。(母は露館播遷で同行した女官厳氏(厳妃))
- 明成皇后の国葬。
- 1898年
- 興宣大院君、79歳で死去。
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ドラマ「明成皇后」登場人物相関図
「明成皇后」登場人物相関図 ©世界の歴史まっぷ[/caption]
KBSドラマ「明成皇后」の登場人物を、李氏朝鮮国王系図に当てはめ、新安東金氏、豊壌趙氏、驪興閔氏を色別にし、それぞれの相関を分かりやすくまとめました。
楽天TVでも観ることができます。 明成皇后
イザベラ・バード 「朝鮮紀行」
イギリスの女性紀行作家のイザベラ・バードは、1894年から1897年の3年間に4度朝鮮各地をまわり「朝鮮紀行」を記した。
王妃は眼光鋭く冷静な印象を与え頭の回転も速そうだった。
闘争続きの生涯がそうさせたのであろう。
しかし王妃は親切で優しくさえあった。
その体型は華奢であり、態度は優雅であった。
いつも美しい衣装をまとい、漆黒の髪をたたえていた。真珠の粉で化粧した顔は美しくも蒼白に映った。朝鮮の女性としては大柄なほうだった。
登場する宮殿
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