三国干渉
A.D.1895〜
明治28年、下関条約で日本が遼東半島を獲得したことに対し、ロシア・ドイツ・フランスが返還を勧告した外交事件。日本は代償3000万両で返還を了承。3国は干渉の報復として、租借地を得た。以後、臥薪嘗胆を合言葉に、ロシアに敵対する世論が高まる。
三国干渉
1895年4月、露・独・仏の3国が、下関条約で規定された日本の遼東半島領有が「朝鮮の独立を有名無実に偽す」ことを理由に、清朝に返還を勧告。日本はやむなく5月に受諾。還付報奨金として庫平銀3000万両(約4500万円)を取得した。以後、臥薪嘗胆を合言葉に、ロシアに敵対する世論が高まる。
下関条約で日本が遼東半島を獲得したことに対し、ロシア・ドイツ・フランスが返還を勧告した外交事件。日本は代償3000万両で返還を了承。3国は干渉の報復として、租借地を得た。
アジア諸地域の動揺
東アジアの激動
甲午農民戦争と日清戦争
1895年4月、日本全権の伊藤博文(当時首相)・陸奥宗光(同外相)と清国全権李鴻章との間で下関条約が結ばれ、両国は講和した。その結果、以下の内容などが決定された。
- 朝鮮の独立(清は宗主国の立場を放棄)
- 日本への台湾・澎湖諸島・遼東半島割譲 ❷
- 賠償金2億両の支払い
- 重慶・杭州・蘇州・沙市4港の新規開港と開港場での企業経営の承認 ❸
- 一方的最恵国待遇 ❹
❷ このうち遼東半島はロシア・ドイツ・フランスの三国干渉により、清に変換された。
❸ 開港場における工業などの企業経営権は、このとき日本が列強にさきがけて獲得したものである(最恵国待遇により列強にもただちに追認された)。これにより日本や欧米列強の中国への資本輸出が本格化し、中国に対する経済的侵略がいっそう進行していった。
❹ 翌1896年には日清通商航海条約が結ばれ、清は関税自主権喪失と領事裁判権を承認した。
日清戦争の結果、日本は朝鮮半島から清の勢力を一掃して、大陸侵略への足場をきずいた。しかし同時にそれは極東での南下を推進するロシアと勢力圏を接することを意味し、新たにロシアとの深刻な対立をひきおこしていった。
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