アイザック・ニュートン
アイザック・ニュートン(ゴドフリー・ネラー画)©Public Domain

アイザック・ニュートン

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アイザック・ニュートン (A.D.1643〜A.D.1727)

イングランドの物理学者、天文学者、数学者。「万有引力の法則」「微分積分法」「光の分析」。1687年「プリンキピア(自然哲学の数学的原理)」を著して理論物理学を完成、後進の科学者たちの教科書となった。

アイザック・ニュートン

万有引力の法則の発見者

イギリスの科学者。主要な業績は力学、数学、光学の3つの分野で打ち立てられ、万有引力の法則は『プリンキピア(自然哲学の数学的原理)」、光の粒子論は『光学』のなかで提唱されている。彼は科学研究の実績に対し騎士ナイトの称号を与えられた最初の人である。

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ペストの流行期間の1年半に「3大発見」

イギリス東海岸の農家に、アイザック・ニュートンは1リットルの入れ物に入るくらいの未熟児で生まれた。すでに父は他界。母は再婚で家を出たため、祖母と二人の孤独な生活を送り、内向的な少年に成長した。ケンブリッジ大学に入学すると、数学書を読みあさった。そしてすべてを理解し、間違いも数々見つけるという天才ぶりを発揮した。

大学卒業の年、ロンドンを中心にペストが大流行したため大学は閉鎖され、ニュートンは故郷に帰った。ここで思索にふけった期間は「驚異の1年半」と呼ばれる。「万有引力の法則」「微分積分法」「光の分析」。科学史に巨大な足跡として残る「3大発見」にお着想が行われたからである。しかし議論嫌いのニュートンはこれらの発表を控えた。

ニュートンは以後もひとりで、力学、天文学を含めた物理大系を数学の式に書き表していった。天文学者エドモンド・ハレーは、惑星軌道が数式で表せることを知って驚嘆する。ハレーは研究の発表を強く勧め、44歳のニュートンはようやく一連の研究を『プリンキピア』にまとめた。これは理論物理学の完成であった。絶賛され、後進の科学者たちの教科書となった。

その後のニュートンは、国会議員、造幣局長官などを歴任、錬金術にも手を出した。しかし、良好な人間関係を築けぬまま、独身で一生を終えた。

万有引力発見の誤解

ニュートンは、「リンゴの落下を見て万有引力を発見した」とよくいわれるが、重力(引力)はガリレオの時代からわかっていた。リンゴが落ちるのになぜ月が落ちないのかと考えを発展させて、ミクロの世界にも宇宙にも共通する「万物が引き合う法則」を”数式”に表したことがニュートンの発見である。

生前に父を亡くしていたニュートンは、天の父に深い関心があったという。創造主がどのような世界をつくったのかを解明したいという思いが、そのまま物理学の大系づくりにつながった。

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