イクター制 軍隊と官僚に現金俸給を支払うアター体制にかわり、国家から授与される分与地(イクター)からの徴税によって得る収入で装備を整え軍事奉仕の義務を負う制度。 イクター制はブワイフ朝時代のイラクに始まり、セルジューク朝のとき西アジア各地に広まリ、イルハン朝、デリー・スルターン朝、ティムール朝、オスマン帝国、サファヴィー朝でも、本質的にこれと同じ制度が行われた。
イクター制
イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の発展
バグダードからカイロへ
イクターとは、国家から授与された分余地、あるいはそれからの徴税権を意味する。イクター制はブワイフ朝時代のイラクに始まり、セルジューク朝のとき西アジア各地に広まった。イルハン朝、デリー・スルタン朝、ティムール朝、オスマン帝国、サファヴィー朝でも、本質的にこれと同じ制度がおこなわれた。
バグダードからカイロへ – 世界の歴史まっぷ
イクター制の成立と展開
アッバース朝カリフの権力が安定し、官僚性が整っている間は、軍隊と官僚に現金俸給を行なうアター体制を維持することができた。しかし9世紀半ば以後、マムルーク軍人の勢力が台頭し、地方に独立の王朝が樹立されると、カリフ権力は衰え、王朝が支配できる地域はイラク地方だけに限られた。このため国庫収入は次第に減少し、ブワイフ朝がバグダードに入城し立ときには、国庫は極度に欠乏した状態にあった。これをみたブワイフ朝のムイッズ・ウッダウラは、配下の騎士に分与地(イクター)を指定し、彼らに徴税の権限をゆだねる政策をとった。これをイクター制という。イクター保有者(ムクター)となった騎士たちは、代理人を派遣して取り分の徴収をおこない、戦時にはその収入を用いて装備を整えることが義務付けられた。現金俸給を支払うアター体制からイクター制への転換は、イスラーム国家や社会にさまざまな変革をもたらすことになった。

参考
詳説世界史研究イクター制で力をつけた地方官が建てた王朝
- サーマーン朝(873年 – 999年) イラン系イスラム王朝。トランスオクシアナ地方全域の徴税権及び後に支配権をアッバース朝より与えられる。
- ハムダーン朝(890年 – 1004年) アラブ系イスラム王朝。遊牧民の長ハムダーン家がジャズィーラ地方に建国。アッバース朝の実権を最初に簒奪した王朝。
- ブワイフ朝(932年 – 1062年) イラン系イスラム王朝。バグダードに入城し、カリフよりイラン地方の支配の正統性を認められた。大アミールという称号を与えられ、後にアッバース朝カリフを傀儡にする。ハムダーン朝と長期にわたり抗争を繰り返したが、ハムダーン朝衰退によって完全に実権を掌握する。
- ゴール朝(11世紀初 – 1215年) イラン系イスラム王朝。当初の称号はアミールであったが、後にスルターンと改称する。ハールーン・アッ=ラシードによってゴール地方の領主に任命されたのが始まりとされているが、王朝としての開始は11世紀ごろである。勢力が徐々に強大化し、勢力拡大方向を西のバグダード方面ではなくインド方面の東に設定した。1191年に北インド全域を支配。