イスファハーンのイマーム広場 イスファハーンは、紀元前6世紀からの歴史をもつイラン有数のオアシス都市。モンゴル・ティムール朝によって崩壊したが、16世紀末サファビー朝全盛期のアッバース1世が、『コーラン』に記された楽園を理想としてイラン高原に築いた都で、イマーム広場にある青タイルを張りつけた「王のモスク」の正面玄関の天井は、美しいつくりで有名である。世界遺産。
イスファハーンのイマーム広場
「イスファハーンは世界の半分」と称された
イスファハーンは、サヴァヴィー朝全盛期のアッバース1世(位1587〜1629)が、『コーラン』に記された楽園を理想としてイラン高原に築いた都で、政治、商業、交通の拠点としての繁栄ぶりは「イスファハーンは世界の半分」と称された。イスファハーンの中心にある、2層構造の回廊に囲まれた「イマーム広場」は、南北510m、東西160mの巨大な広場である。ペルシア発祥の球技であるポロの競技や数々の式典、公開処刑などが行われていた。回廊の1階に連なる商店は、旧市街地へ続くバザール(常設市場)とともに現在でも多くの人々を集めている。
回廊に組み込まれる形で宮殿やモスクが建造されており、その中のアリー・カプー宮殿は、15世紀のティムール朝の宮殿にアッバース1世が2層の建物を付設したものである。宮殿内の壁は、鳥や人物の細密画で埋めつくされ、最上階には音楽ホールを備えている。

現在のイランの国境の始まり
現在のイランはイスラーム教シーア派の国である。その歴史はサファヴィー朝に始まる。長い異民族支配の歴史を打ち破り1501年に建国したサファヴィー朝は、スンニ派のオスマン帝国に対抗し、イラン人の民族意識を高めるためシーア派を国教とした。参考
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