インド帝国
インド帝国(Wikipedia)©Public Domain

ムガル帝国

コンバウン朝, マイソール王国, 清朝

インド連邦(ドミニオン), パキスタン(ドミニオン)

ビルマ(イギリス統治), イギリス領セイロン

インド帝国 British Raj

A.D.1877〜A.D.1947のインド植民地の呼称。イギリス東インド会社のインド支配に対して、1857~59年インド大反乱がおき、58年イギリス政府は東インド会社を廃止して直接統治下におき、77年ヴィクトリア女王のインド皇帝即位で成立。直轄地と藩王国で構成。

インド帝国

首都:カルカッタ(1858〜1912)、ニューデリー(1912〜1947)

A.D.1877〜A.D.1947のインド植民地の呼称。ヴィクトリア女王のインド皇帝即位で成立した。イギリス国王を皇帝に頂くという特別扱いは、イギリス帝国におけるインドの重要性を示している。

¥946 (2021/07/31 10:38:49時点 Amazon調べ-詳細)
ASIN: 4634033046

イギリス政府が直接統治した時代 (1858~1947) の植民地インドの呼称。 1757年のプラッシーの戦いに勝ったイギリス東インド会社はベンガル州を会社領とし、それ以後各地を征服、19世紀なかばには全インドを支配下においた。この間の激しい収奪ときびしい弾圧に対するインド人の反感は 1857~59年のインド大反乱となって爆発。 58年イギリス政府は東インド会社を廃止して直接統治下におき、77年イギリス国王がインド皇帝を兼ね、インド帝国と称した。領内は直轄領と大小数百のインド藩王国とが入り交り、藩王国はイギリス人弁務官が実際上統治した。すなわち藩王が高額の年金と待遇を受けるだけのものから、実際に統治してイギリス人顧問の監視を受けるものにいたるまで種々の区別を設け、直轄領も従来の習慣に基づき、地方ごとに租税の額や徴収法を異にした。こうした分割統治によって反乱防止をはかった。しかし、本国への食糧や原料供給のための小麦、茶、砂糖、藍などの強制栽培、またこれらを運ぶための鉄道の敷設などがインド人の自治要求の自覚を高め、イギリス本国も 20世紀に入るとたびたび統治法を改めることによって少しずつ自治を認めざるをえなくなった。第2次世界大戦後の 1947年に独立を認め、インド帝国を廃止した。

参考 ブリタニカ国際大百科事典

アジア諸地域の動揺

南アジア・東南アジアの植民地化

大反乱とインド帝国の成立

インド大反乱に動揺したイギリスは、いっそう強力な支配体制を確立する必要に迫られた。そして1858年にインド統治改善法を定め、それまでインド統治にあたってきたイギリス東インド会社を解散させ、インドをイギリス政府の直接の支配下においた。さらに1877年にヴィクトリア女王がインド皇帝(女帝)を兼ねることを宣言し、ここに正式にインド帝国が成立して、名実ともにインドの植民地化は完成をみた。帝国はイギリスの直轄地と藩王国 Indian State とから構成されていた。イギリスは保守的な旧王侯の国を残すという分断策により、インド人が団結して反抗することを防いだのである。

イギリス領の拡大地図 インド植民地化の進行
イギリス領の拡大地図 ©世界の歴史まっぷ

植民地政策を進めるイギリスは、フランスのインドシナ経営に対抗してミャンマー(ビルマ)領有をくわだて、1824年以降3回にわたる戦争(イギリス=ビルマ戦争, 英緬戦争 Anglo-Burmese War, 1824〜26, 1852〜53, 1885〜86)によってコンバウン朝を倒し、全ミャンマーを併合してインド帝国の1州とした。またロシアの南下に備えるためアフガニスタンに出兵し(アフガン戦争 Afghan War, 1838〜42, 1878〜80, 1919)、さらにチベットに出兵してラサ条約を結びこれを従属下においた(1904)。スリランカ(セイロン)には16世紀にポルトガル、17世紀にオランダが進出したが、18世紀にイギリスがオランダを駆逐して、1815年以後、全島がイギリス領となった。

藩王国:イギリスの統治下に内政権を与えられていた旧王侯(藩王、マハーラージャ)の国。大小550をこえ、全体でインドの面積の45%、人口の24%を占める。
大陸部の植民地化

ミャンマー(ビルマ)のコンバウン朝(アラウンパヤー朝, 1752〜1885)は、アラカン・アッサム方面への進出を試みたが、同じくこの地に野心を抱くイギリスと交戦して敗れ、これらの地を失った(1824〜26, 第1次ビルマ戦争 Anglo-Burmese War)。つづいてイギリスはミャンマー側の条約違反などを口実に戦端を開き、ミャンマー南部を併合した(1852〜53, 第2次イギリス=ビルマ戦争)。ミャンマー側はフランスと結びこれに対抗しようとしたが、イギリス側は些細な問題を口実に王を捕らえて王朝を滅ぼし、ミャンマー北部を併合した(1885〜86, 第3次ビルマ戦争)。こうして全ミャンマーはカルカッタを首都とするインド帝国の1州とされた(1935年にインド帝国から分離される)。

東南アジアへの侵略と統治地図
東南アジアへの侵略と統治地図 ©世界の歴史まっぷ
¥2,750 (2021/07/31 10:38:02時点 Amazon調べ-詳細)
ASIN: 4634030888
広告