ウル (Ur) 古代メソポタミアにあったシュメール人の都市及び都市国家、またはその遺跡。元来はチグリス川とユーフラテス川のペルシア湾への河口近くに位置していた。現在はイラク領ジーカール県ナーシリーヤ近郊にあり、ユーフラテス川南方に位置する。旧約聖書のアブラハムはこの地の生まれと言われ、ここからカナンの地へ旅立った。
遺跡

歴史
- 紀元前5千年紀半ば
- ウルに人が居住をはじめる。
- 紀元前4千年紀
- 都市が本格的に拡張をはじめる。
- ウル第1王朝
- ウル第2王朝
- ウル第3王朝
- 紀元前22世紀から紀元前21世紀にかけてメソポタミアを支配した王朝。ウルの軍事司令官であったウル・ナンムが自立して、前22世紀末にウル第三王朝が建てられた。 神殿の建築や運河の建設などを行うとともに、ウル・ナンム法典と称される法典を定めた。この法典は、のちに古バビロニア王国でまとめられるハンムラビ法典に影響を与えたと考えられる。第2代シュルギの時代までに行政機構が確立し、王権の神格化も進んでいった。 しかし、まもなくこの王朝はアムル人やエラム人の侵入に苦慮することとなった。シュルギ王やのちのシュ・シン王は、彼らの侵入を防ぐために防壁を設けた。 紀元前2004年(または紀元前1940年)、シュ・シンの息子であるイビ・シン王の時代にエラムが侵攻するとウルは陥落。エラム人によって王ははるか東方へ連行され、これをもってウル第三王朝は滅亡した。
シュメール の各主要都市国家の場所
シュメールの多くの都市国家はそれぞれ周囲の1000平方キロもの土地を支配していた。 ラガシュ、エリドゥ、キシュ、ニップル、ウルク、シッッパル、アカシャク、ウルなどの都市ははるか昔からその名を轟かせていた。 [put_wpgm id=15]