カルタゴ
海港都市国家カルタゴ想像図(国立カルタゴ博物館蔵/ Credit: damian entwistle © Creative Commons Attribution-Share Alike 2.0 Generic)

カルタゴ


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カルタゴ Carthago
ティルス出身のフェニキア人植民者がアフリカ北岸に建設した海港都市国家。3度のポエニ戦争で街は完全に破壊され、滅亡した。のち、カエサルが計画をたて、アウグストゥスが再建して栄華を取り戻したがウマイヤ朝に占領され再び街は壊滅する。ローマ時代の遺跡などが1979年、世界遺産に登録された。

カルタゴ

Credit: ZDF/Terra X/Faber Courtial, Jörg Courtial
©Creative Commons — Attribution-ShareAlike 4.0 International — CC BY-SA 4.0

ティルス出身のフェニキア人植民者がアフリカ北岸に建設した海港都市国家。ローマに滅ぼされた。

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オリエントと地中海世界

古代オリエント世界

アラム人とフェニキア人

地中海沿岸にビブロス・シドン・ティルスなどの都市国家をきずいていたフェニキア人は、クレタ・ミケーネ勢力が後退したあとを受け、紀元前12世紀より地中海貿易をほぼ独占し、また地中海沿岸にカルタゴをはじめとする多くの植民市を建設した。

紀元前4世紀後半にティルスがアレクサンドロス3世によって破壊され、東地中海の支配権はギリシア人に奪われたが、西地中海においてはカルタゴの勢力がなお健在であった。

ローマ世界

エトルリアとローマ

ウェイイやタルクィニアなどの都市が繁栄し、エトルリア人はギリシア都市やカルタゴと盛んに交易をおこなった。

ローマの発展

ローマは有力な国家となって、ついにシチリアを支配していたフェニキア人の植民市カルタゴと衝突することになり、初めて海外に進出して3度に渡るポエニ戦争(紀元前264年〜紀元前146年)を引き起こした。

「ポエニ」は「フェニキア」の意味。カルタゴがフェニキア植民市であったためである。

第1次戦争でシチリアなどの海外領土を得たローマは、そこに総督を送って統治させ、住民からは税を徴収した。これを属州という。
カルタゴのハンニバルが反撃した第2次ポエニ戦争(紀元前218〜紀元前202)で、ローマはイタリアにカルタゴ軍の侵入を受け苦戦したが、大スキピオがスペインを制圧してカルタゴ本国を攻め、帰国して戦ったハンニバルをザマの戦いで破ってローマの勝利を導いた。
ローマは紀元前2世紀にはギリシア方面にも進出し、ギリシア都市の要請に応じてマケドニアと戦った。初めはマケドニアからギリシア都市を解放して自由を与えて撤去するなど、ローマは侵略的ではなかったが、紀元前2世紀半ばからは無力なカルタゴを第3次ポエニ戦争に引き込んで滅ぼし(紀元前146年)、同じ年ギリシア都市同盟を破ってコリントスをも破壊するなど、侵略的姿勢が強まっていった

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世界遺産

カルタゴの考古遺跡

カルタゴ
Tunisie Carthage Photographie prise par Patrick GIRAUD (Credit: Calips ©Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported)

アントニヌスの浴場
カルタゴ アントニヌスの浴場跡 (© free use)

カルタゴ
紀元前218年の地中海 ©Public Domain

カルタゴ
Tunisie Carthage Photographie prise par Patrick GIRAUD (Credit: Calips ©Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported)

地中海の覇権を争いローマと激突した都市国家

カルタゴは、紀元前6〜前2世紀頃に地中海交易で繁栄した都市国家で、チュニジア共和国の首都チュニス近郊の地中海沿岸に位置した。この都市はフェニキア人によって築かれ、紀元前6世紀頃には地中海西部一帯の通商権を掌握。イベリア半島の金やすずといった資源をもとに交易によって莫大な富を得て、一時は「世界の覇者」とまで称され、繁栄を極めた。

その後、カルタゴは地中海の覇権をめぐってローマと激しく争い、紀元前3〜前2世紀にかけて3度にわたるポエニ戦争で激突した。英雄ハンニバルの奮闘もあったが、カルタゴはいずれも敗戦。2度の敗戦から驚異的な復興を見せたカルタゴだったが、3度目の戦いで街を完全に破壊され、滅亡に至った。

しかし紀元前46年に、ローマのカエサルが植民都市としてカルタゴを再建する計画を立て、その構想は初代ローマ帝国皇帝アウグストゥスの治世下で実現した。新しいカルタゴには、ローマと同様に道路が基盤目状に配され、円形劇場や闘技場といった施設も設けられた。特に2世紀頃につくられたアントニヌスの欲情は、ローマ世界で3番目の規模となる巨大施設で、浴室、冷浴室、サウナなど、合計100以上の部屋を備えていた。また、建物の床や壁はローマ期のモザイクで装飾されており、その美しさは世界的に高く評価されている。

ローマ人の手で再建され、再び栄華を取り戻したカルタゴであったが、7世紀の終わりにアラブ人のウマイヤ朝に占領され、再び街は破壊されてしまう。アントニヌスの浴場もその際に取り壊された。浴場の石材は、ウマイヤ朝が占領したスペインに運ばれ、大モスクの建造などに用いられた。現存するカルタゴの遺跡のほとんどは、ローマ植民都市時代に築かれたものである。

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