ガーナ王国 (7世紀頃〜1150)
西アフリカのガーナ王国は、金を豊富に産することで知られ、ムスリム商人はサハラ砂漠の塩床から切り出した岩塩をもってガーナにいたり、これを金と交換してイスラーム世界にもたらした。この交易によって王国は繁栄を続けたが、1076/1077年、モロッコのムラービト朝がジハード(聖戦)を唱えて南下し、攻撃を受けて衰退した。
ガーナ王国
首都:クンビ=サレー
西アフリカの貿易国家群のなかで,9~12世紀にかけて最も繁栄した最初の黒人王国。サハラ砂漠とセネガル,ニジェール両川の上流にはさまれた地域に位置し,現ガーナ共和国とは異なる場所にあった。住民の主体はマンデ語を話すソニンケ族 (→マンデ諸族 ) で,北方のアラブ人やベルベル人の交易商人と南方の金や象牙の産地とを結ぶ仲介者の地位を占めた。 16~17世紀頃の年代記によると最初の王は黒人ではなく,建国は 300年頃であったとされている。8世紀のアラブ人の地理学者がこの国に言及しているが,最盛期については 1067~68年にアル・バクリーが詳しく記録している。その頃にはすでに黒人が支配していた。正式の国名はワガドゥー Wagaduであったが,通称のガーナは王の称号に由来する。国は部族連合から成っており,その他いくつかのガーナの名をもつ都市もあった。首都は一定せず,その1つとしてクンビ・サレーが知られる。 11世紀になると,サハラ砂漠のベルベル系イスラム諸部族の攻撃を受け,1076年にはモロッコのムラービト朝により首都が陥落した。その支配は数年で終ったが,交易活動と農業は大きな打撃を受け,帝国は衰退した。 1203年には反乱を起したスス族が首都を占領し,さらに 40年マリンケ族のスンディアタによって首都は破壊され,マリ帝国に併合された。
参考 ブリタニカ国際大百科事典
イスラーム世界の形成と発展
インド・東南アジア・アフリカのイスラーム化
アフリカのイスラーム化
西アフリカのガーナ王国(7世紀頃〜1150)は、金を豊富に産することで知られていた。ムスリム商人は、サハラ砂漠の塩床から切り出した岩塩をもってガーナにいたり、これを金と交換してイスラーム世界にもたらした。この交易によって王国は繁栄を続けたが、1076/1077年、モロッコのムラービト朝の攻撃を受けて衰退した。
イスラーム世界の発展
西方イスラーム世界
11世紀半ばころ、西サハラに住むベルベル人の修道士(ムラービト murabit)たちは、熱心なイスラーム宗教運動をおこし、北アフリカにムラービト朝(1056〜1147)を建国した。
彼らはジハード(聖戦)を唱えて南下し、1076年ガーナ王国を滅ぼすと、スーダンのイスラーム化を積極的に推し進めた。