キュロス2世 (紀元前600年頃〜紀元前529年) アケメネス朝ペルシアの初代国王(在位紀元前559年頃 - 紀元前529年)。 キュロスは古代エジプトを除く全ての古代オリエント諸国を統一して空前の大帝国を建設した。現代のイラン人は、キュロスをイランの建国者と称えている。
キュロス2世
イラン高原にアケメネス朝を創建
ペルシアはもともとメディア王国に属していた。父王カンビュセス1世はメディア王女マンダネを妻とし、キュロスをもうける。長じてキュロスはメディア王国を打倒してイラン高原での覇権を確立、続いてリディア、新バビロニアを滅ぼし、西アジア世界を包み込む大帝国の支配者となった。これがギリシア語でいうアケメネス朝、古代ペルシア語でいうハハマーニシュ朝の始まりである。参考
略歴
同名の王子小キュロスと区別して「大キュロス」、キュロス大王、同名のアンシャン王キュロス1世と区別してキュロス2世と呼ばれる。 紀元前3千年紀のエラムの首都であった「アンシャン」は、紀元前7世紀にアケメネス(ハカーマニシュ)の息子であるペルシア人の長、テイスペス(チャイシュピ、Teispes、紀元前675年-紀元前640年)によって征服されアケメネス朝の支配下になる。- 紀元前600年頃
- アケメネス朝に従属する小王国・アンシャンの王・カンビュセス1世と母マンダネとの間に生まれる。
- 紀元前559年
- キュロス2世は、アケメネス朝の第7代王(紀元前559年-紀元前550年)となる。
- 紀元前550年
- メディア王国征服 (メディア王アステュアゲス)
- 紀元前547年
- リディア王国征服 (リュディア王クロイソス、リュディアの首都サルディス)
- 紀元前540年
- エラム征服 (エラムの首都スサ)
- 紀元前539年
- 新バビロニア征服 (オピスの戦いー新バビロニア王ナボニドゥス)
- 中央アジア征服
- 紀元前539年
- バビロン捕囚解放
参考 Wikipedia
バビロン捕囚解放
バビロンの支配者として彼が最初に行った「ユダヤ人解放」は、紀元前597年にネブカドネザル2世によってユダの地から追放されていたユダヤ人を、ネブカドネザルに奪われていた財宝とともに、バビロンを離れてエルサレムを再建を許した。ユダヤ人はキュロス2世を「神が定めた王」と記している。旧約聖書ではメシア(救世主)と呼ばれている。パサルガダエ

キュロス2世によって建設された首都・パサルガダエはキュロス2世の墓が存在し、世界遺産「パサルガダエ」に登録されている。