サライェヴォ事件 オーストリア大公フランツ・フェルディナントとその妻ゾフィー・ホテク
サライェヴォで暗殺されたオーストリア大公フランツ・フェルディナントとその妻ゾフィー・ホテク(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

サライェヴォ事件


サライェヴォ事件 Sarajevo A.D.1914〜

オーストラリア=ハンガリー帝国の帝位継承者フランツ=フェルディナント大公夫妻がボスニアの州都サライェヴォで暗殺され、第一次世界大戦勃発の契機となった事件。セルビアは1908年のオーストリアのボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合に不満を持っており、オーストリア陸軍の演習のためサライェヴォを訪れた夫妻を、14年6月28日、パン=スラヴ主義者のセルビア人青年プリンチプが狙撃、暗殺した。

サライェヴォ事件

オーストラリア=ハンガリー帝国の帝位継承者フランツ=フェルディナント大公夫妻がボスニアの州都サライェヴォで暗殺され、第一次世界大戦勃発の契機となった事件。セルビアは1908年のオーストリアのボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合に不満を持っており、オーストリア陸軍の演習のためサライェヴォを訪れた夫妻を、14年6月28日、パン=スラヴ主義者のセルビア人青年プリンチプが狙撃、暗殺した。

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帝国主義とアジアの民族運動

帝国主義と列強の展開

イギリスの経済的優位の動揺とアメリカ・ドイツの台頭は、各国の緊張と対立を激化させた。列強は相互に軍事ブロックを形成し、偏狭なナショナリズムが領土拡張政策に利用された。大国の利害とナショナリズムが交錯したバルカン半島では、1914年サライェヴォ事件がおこり、結局その国際的対立は第一次世界大戦を勃発させることになった。

二つの世界大戦

第一次世界大戦とロシア革命

第一次世界大戦の勃発
第一次世界大戦の勃発 第一次世界大戦中のヨーロッパ
第一次世界大戦中のヨーロッパ ©世界の歴史まっぷ

1914年6月28日、オーストリア皇位継承者フランツ=フェルディナント大公夫妻がオーストリアに併合されたボスニアの州都サライエヴォで暗殺された(サライェヴォ事件)。犯人はセルビア系の青年で反ハプスブルクの民族主義的組織に所属していた。セルビア政府は事件とは直接関与していなかったが、オーストリアはドイツの強力な支援をえて7月28日にセルビアに宣戦布告した。セルビアを支援するロシアが総動員令を発すると、ドイツはロシア・フランスに宣戦布告した。

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63.第一次世界大戦

63.第一次世界大戦流れ図
63.第一次世界大戦流れ図 ©世界の歴史まっぷ

第一次世界大戦の勃発

1914年6月、オーストリアの帝位継承者夫妻が、ボスニアの州都サライェヴォでセルビア人の民族主義者によって暗殺された(サライェヴォ事件)。オーストリアはスラヴ系民族運動をおさえる好機とみて、ドイツの支持を得てセルビアに宣戦すると、ロシアはセルビア支援を表明した。他の列強諸国も同盟・協商関係にしたがってつぎつぎに参戦し、ドイツ・オーストリアなどの同盟国側と、フランス・ロシア・イギリス・日本などの協商国(連合国 )側に分かれて戦った。その後、オスマン帝国・ブルガリアが同盟国側で参戦し、イタリアは三国同盟から離脱した。反戦を掲げた第2インターナショナルは、参戦国の社会党の多くが自国政府を支持したため事実上解体し、主要参戦国では、諸政党が結束して政府を支持する挙国一致体制が成立した。

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