サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂 アリウス派に属したテオドリック(東ゴート王)によって、490年頃宮廷に隣接して建設されたバシリカ。540年にラヴェンナが東ローマ帝国に編入されてユスティニアヌス1世(東ローマ皇帝)が異端とされたアリウス派の聖堂をすべて没収した際、トゥールのマルティヌスの聖堂として奉献しなおされた。 美しいモザイク画が残ることで非常に有名であり、世界遺産「ラヴェンナの初期キリスト教建築物群」のひとつとして登録されている。
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
490年頃宮廷に隣接して建設されたバシリカ。540年にラヴェンナが東ローマ帝国に編入されてユスティニアヌス1世(東ローマ皇帝)が異端とされたアリウス派の聖堂をすべて没収した際、トゥールのマルティヌスの聖堂として奉献しなおされた。 856年に司教ヨハネス7世によって、ラヴェンナの外港であったクラッシス(現在サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂のある場所)から聖アポリナリスの聖遺物がもたらされ、サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂(新聖アポリナリス聖堂)と呼ばれるようになったといわれている。 11世紀に正面右側に高さ38mの円筒形鐘楼が建設された。16世紀になると正面にポルチコが付加されたが、これは第一次世界大戦の際にオーストリアの砲撃によって破壊されたため、後に再建されたものである。構造
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂は、身廊とそれを取り囲む側廊からなる標準的な3廊式バシリカ教会堂である。身廊と側廊は12本のコリント式列柱により仕切られている。1514年から1535年にかけて構造が改編され、身廊上部の壁面の下部が削りとられた。コリント式柱頭上部に逆台形の副柱頭を載せ、その上の半円アーチで壁面を支えているが、これらの修まりの悪さはこの改造のためである。 天井は格子天井になっているが、これは17世紀に取り付けられたもので、本来はサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂と同じく木造の小屋組が露出していた。装飾
聖堂のモザイクはよく残っているが、たびたび高潮の被害に遭うようになったため、16世紀に創建当時から床面が1.2m以上高く持ち上げられた。このため床面に敷詰められていたモザイクは見ることができないし、内部空間の構成は比較的鈍重に見える。また、アプス部分は創建当時のものは完全に失われてしまっている。 聖母子と東方三博士の礼拝が描かれている。


参考 Wikipedia
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ラヴェンナの初期キリスト教建築物群 – 世界の歴史まっぷ