シャープール1世 (?〜272年頃) ササン朝ペルシア第2代王(「イラン人および非イラン人の諸王の王」)(在位241年 - 272年)。ローマと戦って勝利し、ローマ皇帝ウァレリアヌスを生け捕り、捕虜にしたローマ戦士に労役を与えた。
シャープール1世
ローマ軍を破り残虐な行為に及ぶ
強力な軍隊を誇ったシャープール1世は、ローマ(軍人皇帝時代)の東国境を騒がせた。属州シリアを侵略し、首都アンティオキアなど主要都市を略奪したのだ。ピリップス・アラブス帝には屈辱的な賠償金を払わせ、その15年後、遠征におもむいたウァレリアヌス帝を生け捕りにした。同時に、元老院議員や官僚、親衛隊など、ローマの戦士約1万人を捕虜にし、国内のインフラ整備に使役した。シャープール1世はウァレリアヌスを四つん這いにし、乗馬の踏み台にするなど、奴隷のごとく扱った。また彼の死後、皮膚を剥がして赤く染め、見せしめに神殿に飾るなど、残虐な仕打ちをした。やがて、ローマの同盟国パルミアのオデナトゥス王に敗れ撤退する。

イランの巨岩遺跡ナクシェ・ロスタムには、エデッサの戦いで勝者となったシャープール1世(右)と、降伏したローマ皇帝ウァレリアヌス帝(左)の姿が刻まれている。
ナクシェ・ロスタム
[display_map address1=”Naqsh-e Rustam | ナクシェ・ロスタム” zoom=”18″ height=”400″ map_type=”HYBRID”]略年表
- 生年不詳 ペルシアに生まれる
- 241年 父王アルダシールの死去により即位
- 242年 マニ(マニ教)と会見する
- 243年 ローマ軍に対する戦い・ローマ軍が敗北
- 253年頃 バルバリッソスの戦いでローマ帝国軍を降す
- 253/256年 アンティオキアを占領
- 260年 エデッサの戦いでローマを破りウァレリアヌス帝を捕虜とする
- 272年 死亡
参考