ゼノビア
『パルミラ市街を見下ろす女王ゼノビア』(シュマルツ・ヘルベルト作/1935) ©Public domain

ゼノビア


ゼノビア 240年頃-274年頃

ローマ帝国・人帝国時代に通商都市パルミラを首都とし、シリア属州、アラビア・ペトラエア・アエギュプトゥス(エジプト)などを支配し、ローマ帝国から独立していた国家・パルミラ王国の女王。

ゼノビア

258年、パルミラ一帯を治める有力者であったセプティミウス・オダエナトゥスの後妻となる。

軍人帝国時代、東方に帝国を築く

ローマ帝国の軍人皇帝時代、現在のシリアの中央部の通商都市・パルミラを首都として独立した属州があった。これがゼノビアを女王としたパルミラ王国である。

3世紀、弱体化したローマ帝国が、ペルシアの攻撃を受けた際、夫・オダエナトゥスが東方防御に任命された。しかし任務完了前に暗殺されてしまう。このとき事態収拾に登場したのが、容姿端麗、頭脳明晰なオダエナトゥスの妻・ゼノビアだった。

ゼノビアは、幼少の息子・ウァバッラトゥスを王位につけ、自らはその後見人となり権力を得た。なおも混乱するローマ帝国のスキを突き、東方へ侵攻。パルミラは、パレスチナ、アラビア半島西部、現在のイラク方面までを支配する帝国となった。

これに対し、270年にローマ皇帝となったルキウス・ドミティウス・アウレリアヌスは、パルミラに降伏を勧告したが、ゼノビアはこれを無視。ローマ帝国皇妃の称号「アウグスタ」を自称して対抗した。

アウレリアヌスは軍を率いて力ずくで迫ったが、ゼノビアも陣頭に立って迎撃した。しかしパルミラ軍は敗北を重ね、ウァバッラトゥスは戦死した。ゼノビアはペルシアへ逃亡を図るが捕縛され、ローマへ連行された。

皇帝の凱旋式で、ゼノビアはローマ市内を引き回されたが、黄金の鎖で自らを縛り、威厳ある姿を市民に誇示したという。凱旋式の後はローマ国内のティブル(現:ティヴォリ)のウィッラ・ハドリアナの近郊に高級な別荘(ヴィラ)を与えられ、社交界でも活躍する等、贅沢に暮らした。また、ゼノビアはローマの元老院議員(名前は伝わっていない)と再婚し、数人の娘(やはり名前は不詳)にも恵まれ、その娘もローマの高貴な身分の人間と結婚したと伝えられる。いずれにしてもゼノビアに勝利したアウレリアヌス(275年に暗殺)よりも長く生きたことは確実と言える。

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