ソロン Solon 紀元前640年頃 – 紀元前560年頃
ソロン
貴族と平民の調停をはかったアテネの執政官。ギリシア七賢人の一人。前594年に改革を断行したが、貴族・平民の両者から非難され、引退した。
社会の改革を目指す
アテネの政治家、立法者、詩人。「ソロンの改革」で有名。当時、貧富の格差が広がっていたため、借金の帳消しや市民を財産によって4等級に分け権利に差をつけること、「ドラコンの法」の改正、400人評議会の設置などの改革を行おうとした。しかし、改革は不評で失敗した。
アテネ 4民族制
党名 | 居住地 | 居住者 |
---|---|---|
平地党 | 平地 | 地主 |
海岸党 | 海岸 | 商人 |
山地党 | 山地 | 小作人 |
興望を担った調停者
アテネの国制は貴族政から民主政へと変わった。その過渡期に現れたのがソロンである。当時のアテネでは、貴族・富裕者と平民との間に深刻な亀裂が生じていた。前594年にアルコン(最高級の役人)に選ばれたソロンは、まず「重荷おろし」と総称される一連の新法によって借財の帳消しに踏み切る。また、身体を抵当にした貸金を禁じた。ついで国政の改革に着手し、財産政治とよばれる、財産を基準にして市民の政権参与の大きさを定める法を制定した。改革は度量衡から貿易、市民権、家族法まで実に多岐に及んだ。