ダヴィデ王 (ダヴィデ王 David) B.C.1040〜B.C.961
イスラエル王国第2代の王(在位前1000頃〜前960頃)。ペリシテ人を破ってパレスチナ全土を掌握、イェルサレムを首都とする統一王国の基礎を固めた。息子がソロモン。
ダヴィデ王
イスラエル王国第2代の王(在位前1000頃〜前960頃)。イェルサレムを首都として、ペリシテ人などを排除して王国を強固にした。
理想の王と称えられる
古代イスラエル2代目の王。初代サウルに寵愛された。巨人ゴリアテを倒す武勲をたてたがサウルに妬まれ、命を狙われる。サウル王の戦死後、王となる。南方のユダ王国と北方のイスラエル王国を統合、イェルサレムを首都と定め、イスラエル史上最大の王国を築いた。

オリエントと地中海世界
古代オリエント世界
ヘブライ人とユダヤ教
建国
第2代目の王ダヴィデは、ペリシテ人を破ってパレスチナ全土を掌握し、イェルサレムを首都とする統一王国の基礎を固めた。その息子ソロモンの時代が最盛期で、フェニキアのティルスの王と手を結んで、海外との貿易を積極的におこなった。
イスラエル王国とユダ王国
ダヴィデ王がユダ族出身であったため、イスラエル王国ではこの支族がもっとも勢力をもった。これに反感を抱く他の支族が結束して樹立したのが北イスラエル王国で、首都のサマリアにちなんで「サマリア王国」と呼ばれることもある。
ユダ王国は、イェルサレムを首都にユダ族が中心となって形成した王国で、ダヴィデ王家がひきつづき君臨した。
アッシリアは多くのイスラエル人を北シリアやアッシリア本国へ強制移住させたあとに、よその住民をイスラエルに移した。新移住者は残っていたヘブライ人とやがて混血し、本来のヘブライ人とは異質の宗教・文化をもつサマリア人と呼ばれる民族になった。それに対しユダ族を中心とする人々は、バビロン捕囚中も帰国後も、民族的伝統を失わなかった。ここからその後のヘブライ人を「ユダヤ人」、宗教を「ユダヤ教」と呼ぶ習わしがおこった。
イスラーム世界の形成と発展
イスラーム帝国の成立
預言者ムハンマド
最後の預言者
イスラームの教えによれば、人類は元来ひとつの共同体であったが、争いによって分裂してしまった。そこで神は各々の共同体に預言者を遣わし、人々を正しい道に導こうとした。アダム・ノア・アブラハム・モーセ・ダヴィデ・ソロモン・イエスなどがこれらの預言者に相当し、ムハンマドは最後に現れた最も優れた預言者であるとされる。
ダヴィデ(左)と巨人ゴリアテ(右)

(13世紀の羊皮紙画・ロンドン・大英図書館蔵)©Public Domain