チャルディラーンの戦い (1514年)
アナトリア高原東部のチャルディラーンで行われたオスマン帝国と新興のサファヴィー朝との戦い。鉄砲と大砲を装備したオスマン帝国常備軍が、騎兵を主とするサヴァヴィー朝を圧倒した。オスマン帝国が勝利し、東アナトリア領を獲得。後の日本の長篠の戦いにたとえられる。
チャルディラーンの戦い
戦争データ
年月日:1514年8月23日 | |
場所:ヴァン湖北部 チャルディラン平原 | |
結果:オスマン帝国の勝利 | |
交戦勢力 | |
オスマン帝国 | サヴァヴィー朝 |
指導者 | |
セリム1世 | イスマーイール1世 |
戦力 | |
60,000人〜212,000人 | 12,000人〜40,000人 |
損害 | |
2,000人未満 | 約5,000人 |
参考 Wikipedia
アジア諸地域の繁栄
トルコ世界とイラン世界
オスマン帝国の拡大
サヴァヴィー朝国家
イラン北西部カスピ海地域に拠点をおく神秘主義教団サファヴィー教団の教主イスマーイールは、1500年トルコマン遊牧民(トルクメン人)の信者に檄をとばし、アナトリア東部のエルジンジャンに7000人を集めて挙兵した。翌1501年には、アク・コユンル(白羊朝)の都タブリーズに入城し、ティムール朝を倒したウズベク族のシャイバーン朝を破り、イラン全域の支配権を握った(1501〜1736)。勝利の原動力となった軍隊の主軸は、キジルバシュと呼ばれるトルコマン遊牧民であり、これを部族単位に編制した。イスマーイール1世(位1501〜1524)は、古代イラン以来王を意味するシャーの称号を用い、キジルバシュの有力者を地方長官に任じた。行政官僚にはアク・コユンル朝以来のイラン人貴族を任じた。キジルバシュは、シーア派信仰に鼓舞され、イスマーイール1世はタブリーズ入城後、シーア派のイマームの名で礼拝時のフトバ(説教)を詠むことを命じ、スンナ派に対する攻撃・破壊をおこなった。このことは、スンナ派を奉じるオスマン帝国の憤激をかうこととなり、1514年両軍は東部アナトリアのチャルドランに交戦、火器を用いるオスマン帝国軍にサファヴィー朝騎兵軍は大敗を喫した(チャルドランの戦い)。