チャールズ2世(イングランド王)
チャールズ2世(イングランド王)(ジョン・マイケル・ライト画/ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵)©Public Domain

チャールズ2世(イングランド王)


チャールズ2世(イングランド王)( A.D.1630〜A.D.1685)

王政復古期ステュアート朝イングランド王(位1660年5月29日 - 1685年2月6日)スコットランド王(位1649〜1685)、アイルランド王。専制政治はしないというブレダ宣言によってステュアート朝を復活したが、ピューリタンを迫害、カトリックを擁護したため議会と対立した。

チャールズ2世(イングランド王)

王政復古を開始しピューリタンを迫害

オリバー・クロムウェルの子が政界から追放され、亡命先の大陸から呼び戻されたチャールズ1世(イングランド王)の長男。専制政治はしないという「ブレダ宣言」のもとで始められた王政復古であった。チャールズ2世(イングランド王)はクロムウェルの墓を暴き、反逆者として斬首した。しかしピューリタンを迫害、カトリックを擁護したため、議会と対立。議会は「審査法」(公職就任者は国教徒に限る)、「人身保護法」(法によらない逮捕・裁判の禁止)を可決して、これに対抗した。

チャールズ2世はルイ14世(フランス王)との関係を深め、イギリス王室にも華美な風潮が伝わった。科学を奨励し、イギリス学士院を創設。グリニッジ天文台ができたのもこの時代である。

チャールズ2世(イングランド王)
チャールズ2世(イングランド王)(ジョン・マイケル・ライト画/ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵)©Public Domain

1660年、亡命先のオランダで、ブレダ宣言を提示して王政復古を果たしたチャールズ2世。しかし王政復古後、守らなかった事項もある。

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ヨーロッパ主権国家体制の展開

イギリス立憲政治の発達

王政復古から名誉革命へ

オリバー・クロムウェルの独裁に対する国民の不満を利用した王党派は、クロムウェルが没すると、その息子がさらに不評であるのに乗じて、1660年、長老派と組んで、フランスに亡命していた前王の子チャールズ2世(位1660〜1685)を呼びもどした。チャールズ2世(イングランド王)は、「ブレダ宣言」によって、大半の革命関係者の責任を問わず、革命で没収された王党派の土地財産の処理については議会の決定に従うこと、信仰の自由をある程度容認することなど、議会との和解の姿勢を示し、ステュアート朝を復活した。

議会派革命の成果を生かし、国教主義を中心に政治を進めようとしたが、国王はフランスとつうじてカトリックの信仰と絶対王政の復活をはかった。このため議会は、非国教徒が公職につくことを禁じた審査法(テスト・アクト 1673)や、不法な逮捕・投獄を禁じた人身保護法(1679)を制定して対抗した。こうした過程で、王権に寛容なトーリ派と、どちらかといえば批判的なホイッグ派(ウィッグ派)の2つの党派がしだいに確立し、のちの二大政党制の基礎がきずかれた。

王政復古から名誉革命へ – 世界の歴史まっぷ

詳説世界史研究

家系図

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ジェームズ1世(イングランド王)
アン・オブ・デンマーク
ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス
②チャールズ1世(イングランド王)
③チャールズ2世(イングランド王)
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オラニエ公ウィレム2世
(オランダ総督)
ジェームズ2世(イングランド王)
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オルレアン公フィリップ1世
ウィリアム3世(イングランド王)
メアリー2世(イングランド女王)
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アン(イギリス女王)
ジョージ(カンバーランド公)
チャールズ(若僭王)
ヘンリー・ベネディクト・ステュアート
夭逝
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