トロワ条約
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トロワ条約

トロワ条約

1420年5月21日 フランスのトロワで調印された条約。百年戦争の戦局でイングランドを優位に立たせた条約で、シャルル6世(フランス王)の死後にヘンリー5世(イングランド王)がその後継者になるとされた、ブルゴーニュ派とヘンリー5世が結んだ条約。

トロワ条約

アルマニャック派に対抗するため、ブルゴーニュ派のブルゴーニュ公・フィリップ3世(フランス王)とヘンリー5世(イングランド王)が同盟を結び、王太子シャルル(後のシャルル7世・勝利王)が、1419年9月19日にフィリップ3世の父・ブルゴーニュ公・ジャン1世の殺害を命令したことを非難した。
王太子シャルル(フランス)の母イザボー・ド・バヴィエールの不貞に関連したシャルルの出自の不当性についての噂がブルゴーニュ派によって吹聴し、噂を耳にした父王・シャルル6世(フランス王)は怒り、王太子シャルル(フランス)は廃位、全ての称号を失ってブールジュに逃れた。

トロワ条約の調印者たちは、シャルル6世とイザボー・ド・バヴィエールの娘(王太子シャルルの姉)・キャサリン・オブ・ヴァロワ(フランス名:カトリーヌ)とヘンリー5世(イングランド王)の結婚を取り決めた。この結婚によってヘンリー5世(イングランド王)は唯一のフランス王位の継承者となり、摂政としてフランスの国政に携ることとなった。

シャルル6世(フランス王)はトロワ条約で、自らの死後に王位を娘婿、もしくは生まれてくる孫に譲ることになった。

トロワ条約に関連する人物の系図(一部)

トロワ条約
系図

系図(全体): 百年戦争前後のイングランドとフランスの君主一覧と系図

概略年表

1380年

フランス王・シャルル6世(フランス王)・狂気王は、若年で即位したため、叔父であるアンジュー公・ルイ1世、ベリー公・ジャン1世、ブルゴーニュ公・フィリップ2世(豪胆公)らが摂政となる。

1388年

シャルル6世(フランス王)・狂気王は、親政を開始する。

1392年

シャルル6世(フランス王)・狂気王は、精神異常により政務を執ることが不可能となる。
シャルル6世の王妃・イザボー・ド・バヴィエールと不倫の関係にあった、王弟のオルレアン公・ルイ・ド・ヴァロワは、摂政権を巡って叔父のブルゴーニュ公・フィリップ2世(豪胆公)やその息子ジャン1世(無怖公)と対立する。

1404年

ブルゴーニュ公・フィリップ2世死去。長男のジャン1世(無怖公)がブルゴーニュ公を継ぐ。

1407年

ブルゴーニュ派・ブルゴーニュ公・ジャン1世(無怖公)が、シャルル6世(フランス王)の摂政権、パリ支配等で対立していたオルレアン公・ルイ・ド・ヴァロワを暗殺する。
父の暗殺によりオルレアン公・シャルル1世となった息子は、復讐のため、アルマニャック伯・ベルナール7世に頼ってジアン同盟を結び、ベルナール7世の娘・ボンヌ・ダルマニャックと結婚し、アルマニャック派としてブルゴーニュ派との対立が激化する。

1413年

アルマニャック伯・ベルナール7世はパリのカボシャン党の蜂起を鎮圧し、アルマニャック派がパリを支配する。

1420年頃の勢力範囲地図
1420年頃の勢力範囲地図 ©世界の歴史まっぷ

1415年

ヘンリー5世(イングランド王)がフランスに侵攻し、アジャンクールの戦いでアルマニャック派を中心とするフランス軍に大勝し、ノルマンディーを征服する。
オルレアン公・シャルル1世はイングランドの捕虜となり、ベルナール7世はアルマニャック派の筆頭としてパリで独裁を行う。

1418年

アルマニャック伯・ベルナール7世は、アルマニャック派の支配に不満を持つパリの暴徒に暗殺され、以降ブルゴーニュ派がパリと王を支配する。

1419年

シャルル6世(フランス王)(狂気王)の息子である王太子(後のシャルル7世)は、ブルゴーニュ公・ジャン1世(無怖公)と、ヘンリー5世(イングランド王)に対して共闘すべく和解交渉を開始したが、交渉の場で王太子(後のシャルル7世)の支持者がジャン1世(無怖公)を暗殺する。

フィリップ3世(善良公)とヘンリー5世は王太子シャルル(後のシャルル7世)に対抗して同盟を結び、シャルルが1419年9月19日にフィリップ3世の父ジャン1世の殺害を命令したことを非難した。

シャルルの母イザボー・ド・バヴィエールの不貞に関連したシャルルの出自の不当性についての噂がブルゴーニュ派によって吹聴されたが、そのような噂はシャルル6世の怒りを買わずにはいられなかった。シャルルは全ての称号を失ってブールジュに逃れ、ロワール川以南の支配を維持した。その一方で条約の調印者たちは、シャルル6世とイザボーの娘カトリーヌとヘンリー5世の結婚を取り決めた。この結婚によってヘンリー5世は唯一のフランス王位の継承者となり、摂政としてフランスの国政に携ることとなった。つまり、シャルル6世は自らの死後に王位を娘婿、もしくは生まれてくる孫に譲ることになったのである。

1420年

12月1日、ヘンリー5世はシャルル6世とフィリップ3世と共にパリに凱旋した。パリ大学と三部会はトロワ条約を支持した。後に法学者たちは、フランス王位はフランス国王が意のままにできるものではないと主張してシャルルに与した。これは百年戦争の発端となった議論と類似していた。

1422年

1422年8月31日、ヘンリー5世(イングランド王)死去。 イングランド王・ヘンリー6世(イングランド)は生後9ヶ月でイングランド王位を継ぐ。
1422年10月21日、シャルル6世(フランス王)死去。 トロワ条約により、イングランド王・ヘンリー6世(イングランド)は生後11ヶ月でフランス王位を継ぐ。
ヘンリー5世の弟ベッドフォード公ジョンがフランス摂政となり、ロワール川以北でシャルル7世に忠誠を尽くす最後の町オルレアンを攻囲することになる。

参考 Wikipedia

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