ハルシャ・ヴァルダナ (戒日王) (A.D.590頃〜A.D.647) ヴァルダナ朝創始者(在位606年 - 647年)。グプタ朝の崩壊後、分裂していた北インドを再統一、都をカニヤークプジャ(カナウジ)におき、諸王侯のうえに君臨するという封建的体制を採用し統治した。ヒンドゥー教・仏教を保護し、文芸・学問を奨励、みずからもサンスクリット語のすぐれた戯曲や詩を書いた。ナーランダー僧院で仏教を学んだ中国僧の玄奘を厚遇し、旅行記『大唐西域記』に国内の平和と繁栄の模様が記されている。ハルシャと太宗(唐)との間には使節の交換がおこなわれた。
ハルシャ・ヴァルダナ
ヴァルダナ朝を創始した文人王
ヴァルダナ朝の創始者。グプタ朝滅亡後、分裂していた北インドを最後に統一。ヒンドゥー教から仏教に帰依した。文芸を奨励し、自身も戯曲を著す。参考
玄奘の支援者
北インドのヴァルダナ朝の王。勇敢な武将かつ文芸の愛好者でもあった。ヒンドゥー教でありながら、仏教にも惜しみない援助を与え、玄奘も厚く遇した。参考
アジア・アメリカの古代文明
インドの古代文明
諸王国の抗争
グプタ朝の崩壊後、分裂していた北インドを再び統一したのはハルシャ・ヴァルダナ(戒日王)である。彼は都をカニヤークプジャ(カナウジ)におき、諸王侯のうえに君臨するという封建的体制を採用してたくみに統治した(ヴァルダナ朝)。しかしこの王国は短命で、ハルシャの死とともに崩壊した。ハルシャはヒンドゥー教・仏教の熱心な保護者としても知られる。また文芸・学問を奨励し、みずからもサンスクリット語のすぐれた戯曲や詩を書いている。この王の治世にナーランダー僧院で仏教を学んだ中国僧の玄奘は、王に招かれ厚遇を受けた。その旅行記『大唐西域記』には、国内の平和と繁栄の模様が記されている。ハルシャと太宗(唐)との間には使節の交換がおこなわれ、唐朝からは王玄策が派遣された。
諸地域世界の交流
東西文物の交流
人物の往来
玄奘のインド旅行

大唐西域記
『大唐西域記』12巻は、インドへの旅行に際しての見聞により、中央アジア、インド、西アジアの約140国について国別に記した旅行記。土地の方位、里程、歴史や伝説も記し、原語を精密に漢字で表現しており、この地域のことを知るためには重要な文献である。