ハンムラビ
バビロニア帝国初代王(在位:紀元前1792年頃 – 紀元前1750年頃)。
メソポタミアにアムル人が築いた古バビロニア(バビロン第1王朝)の第6代目の王であり、紀元前1757年頃までにシュメール、アッカドを統一しバビロニア帝国初代王となる。
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ハンムラビ
古代バビロニアを統一したアムル人の王
メソポタミアの地図 緑の点線が古バビロニアの領域
ハンムラビは、古代バビロニア、第6代の王である。メソポタミアに、シュメール人が青銅器を用いた文明を築いたのが紀元前3000年頃。その後、同じ地にセム系遊牧民のアムル人が築いた王国が古代バビロニア(バビロン第1王朝)である。
ハンムラビは、30年に及ぶ征服戦争の末、チグリス・ユーフラテス川中・下流域全土(バビロニア地方)の統一を果たした。
ハンムラビは、道路を整備し、運河を整えて灌漑施設を充実させた。そして警察や郵便の制度を確立した。
裁判の公平さ、官吏の綱紀粛正には、特に心を砕いたという。
同害同復の原則と身分別の細かい規定
ハンムラビが制定した「ハンムラビ法典」は、「目には目を、歯には歯を」という同害同復を原則とし、貴族・平民・奴隷と、身分ごとに適用の異なる「身分法」であることが特徴だった。
この法典は、民法・刑法・商法・訴訟法を含んだ、それまでの諸法典の集大成で、大工が手を抜いたために家が壊れて主人が死んだ場合は大工も死刑になることや、借金した人が盗賊に借りた金を奪われたときは返済しなくてもよいなど、非常に細かく規定した。
参考
ハンムラビの死後
古代オリエント 紀元前2000年紀 2
ハンムラビ王の死後、ヒッタイト人はバビロニア王国を壊滅したが、領土に興味のないヒッタイト人は略奪後引き上げたため、バビロンに傭兵や農業労働者として移住していたカッシート人が奪回し、カッシート人の支配下となる。
エジプトではヒクソス人の侵入により下エジプトはヒクソス人の支配下となった。
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