パリ=コミューン
パリ=コミューン 市内のバリケード(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

パリ=コミューン


パリ=コミューン Commune de Paris (1871)

革命化したパリ民衆が樹立した自治政権。1871年3月全市民の選挙でコミューン議会(パリ市議会)を樹立して臨時政府から自立を宣言。ドイツの支援を受けた臨時政府との「血の週間」と呼ばれた市街戦ののち、5月末に崩壊。

パリ=コミューン

欧米における近代国民国家の発展

ヨーロッパの再編

フランス第二帝政と第三共和政

1871 革命化したパリ民衆が樹立した自治政権。臨時政府軍によるパリ国民兵の武装解除を契機にパリ民衆が蜂起し、1871年3月に全市民の選挙でコミューン議会(パリ市議会)を樹立して、臨時政府から自立を宣言した。知識人を中心に都市民衆も参加した自治政権は、公務員の選挙とリコール制、労働者による仕事場の自主管理などをうち出した。しかしドイツの支援を受けた臨時政府との「血の週間」と呼ばれた市街戦ののち、5月末に崩壊した。

血の週間:パリ=コミューン弾圧の最後におこなわれた、コミューン軍と臨時政府軍との戦闘をさすことば。1871年5月21日〜28日におこなわれ、コミューン派の死者は3万人と言われる。
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パリではただちにプロイセンとの戦闘継続をめざして、トロシュ Trochu (1815〜96)を首班とする国民防衛政府(国防政府)が結成され、第三共和政が成立した。パリはプロイセン軍に包囲されたが、内相ガンベッタ Gambetta (1838〜82)は気球にのって脱出し、地方において国民軍を組織してプロイセン軍に抵抗した。しかしティエール Thiers (1797〜1877)らの穏健派は、ボルドーにおける国民議会を背景にプロイセンとの妥協をはかり、71年1月ドイツ軍に降伏し、2月ヴェルサイユにおいて仮の講和条約を結んだ。

19世紀のフランス(第三共和政)
19世紀のフランス(第三共和政)©世界の歴史まっぷ

プロイセン=フランス戦争に突入し、スダン要塞で捕虜となって第二帝政は崩壊した。

プロイセン=フランス戦争の正式な講和条約は1871年5月に結ばれたフランクフルトの講和条約で、この条約ではアルザス・ロレーヌの大部分のドイツへの割譲、50億フランの賠償金の支払いが決められた。

これに強く反発したのがパリ市民であった。彼らは、名もない市民が参加した世界史上最初の労働者や市民からなる自治政府であるコミューン Commune を3月結成した。コミューン組織は一時期フランスの各都市で生まれたが、連絡の不徹底で短期間に消滅した。パリ=コミューンはドイツ軍の支援をうけたティエールらの政府軍に善戦したが、しだいに追い詰められ、ペール=ラシェーズ墓地での抵抗と殺戮を最後に5月崩壊した。そしてティエールが9月大統領に就任し、75年第三共和国憲法が制定されて、第三共和政が確立した。

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