ピサの斜塔
photo credit: giovanni_novara Pisa (Toscana) – La piazza del Duomo via photopin (license)

ピサの斜塔


ピサの斜塔

「ピサの斜塔」として有名な鐘楼は1173年の着工当初より、軟弱な地盤のために傾き始めた。工事は傾きに対応しつつ進められたが、予定していた高さを下方修正し55mを最上層として完成した。完成後も傾きが進んでおり倒壊のおそれもあったため、これまで何度も修復が行われてきた。現在は鐘の振動の影響も考慮されて、塔の上の鐘は鳴らされていない。

ピサの斜塔

ピサのドゥオーモ広場

ピサは紀元前2世紀にローマ帝国の貿易拠点として始まり、11世紀~13世紀に栄えた都市です。高さ55m,直径17mの円筒形をしたピサの斜塔は1173年に建築が始まり、建設中の地盤沈下が原因で傾き、2世紀後には現在のような姿で完成した。塔は年々傾きが増し、現在も保存修復のためさまざまな研究や試みが行われている。

参考 Piazza del Duomo, Pisa – UNESCO World Heritage Centre

地中海航路を支配し東方貿易で栄えたピサ

海洋都市ピサは、1063年のパレルモ沖海戦でイスラム軍を破り、また数度の十字軍に加勢したことで、地中海航路の多くを支配下においた。

ピサ大聖堂

ドゥオーモ広場にあるピサ大聖堂は、パレルモ沖海戦の勝利を記念して着工されたものである。1063年から1118年、そして1261年から1272年の二期にわたり建設された大聖堂は、ローマ古典時代の要素を取り入れた均整のとれたロマネスク建築の代表作である。これは都市国家が割拠するトスカーナ地方の聖堂建築のモデルとなった。

洗礼堂

大聖堂の西側に建つ洗礼堂は、1152年に着工し、200年以上をかけて完成したために下部にロマネスク様式が、上部にゴシック様式の尖塔がみられる珍しい建築である。

ピサの斜塔

「ピサの斜塔」として有名な鐘楼は1173年の着工当初より、軟弱な地盤のために傾き始めた。工事は傾きに対応しつつ進められたが、予定していた高さを下方修正し55mを最上層として完成した。振り子の等時性や落体の法則などを発見したガリレオ・ガリレイはピサ出身で、この斜塔で重さの異なる2つの物体を落とす実験をしたとの逸話も残る。完成後も傾きが進んでおり倒壊のおそれもあったため、これまで何度も修復が行われてきた。現在は鐘の振動の影響も考慮されて、塔の上の鐘は鳴らされていない。

大航海時代 イタリア諸都市の衰退

東方貿易で発展していたイタリアの各都市は、やがて互いに争うようになった。ピサは1284年のメロリアの海戦でジェノヴァに敗北して衰退の一途をたどり、再び海洋としてして輝くことはなかった。

1492年にコロンブスが西インド諸島に到達。1498年にヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を開拓すると、ヨーロッパの貿易の中心地は大西洋岸へと移った。この商業革命によって、東方貿易でうるおったイタリア諸都市は、全体的に衰退していった。

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