フィリップ2世(フランス王)
A.D.1165〜A.D.1223
カペー朝第7代フランス王(在位1180〜1223)。フランス最初の偉大な王と評価され、尊厳王(オーギュスト、Auguste)と呼ばれた。
カペー朝全盛期を創出。イギリスのリチャード1世らと十字軍に参加し対立。後に大陸のイギリス領を奪い領土拡大。内政面でも手腕発揮。
フィリップ2世(フランス王)
「尊厳王」との異名をとる
カペー朝全盛期を創出。リチャード1世(イングランド王)らと十字軍に参加し対立。後に大陸のイギリス領を奪い領土拡大。内政面でも手腕発揮。
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ中世世界の変容
フランスの封建社会と三部会
フランスでは、カペー朝において典型的な封建社会( 封建制)が成立した。諸侯勢力が強大で、王領も北部を中心とする極めて狭い地域に限られていた。加えて12世紀の半ばには、イギリスに成立したプランタジネット朝によりフランスの国土の半分が領有されたため、カペー家のフランス統一は妨げられた。しかし、同世紀末に登場したフィリップ2世(フランス王)は、官僚制を整備して王領地の管理に努めるとともに、都市との結びつきを強めて諸侯を牽制し、王権の強化をはかった。そして、ジョン(イングランド王)との戦いや南フランスへのアルビジョワ十字軍などを通じて、王領地を西部や南部にも拡大していった。
イギリスの封建社会と身分制議会
欠地王ジョン(イングランド王)はフィリップ2世(フランス王)と争い、ノルマンディーをはじめ大陸領の大半を喪失し(1204)、父王ヘンリー2世のアンジュー帝国を崩壊させた。また、カンタベリ大司教の任命を巡ってインノケンティウス3世(ローマ教皇)と対立して破門され、屈服するという失態を演じた( 教会の権威 – 世界の歴史まっぷ)。その後大陸の旧領の回復をはかったが、国内の貴族に軍役を拒否され、さらには彼らの反乱を招くことになった(1215)。これにはロンドン市民も同調したため、ジョン欠地王は譲歩し、貴族たちの要求する条項に調印した。これが、いわゆる大憲章(マグナ・カルタ)である。
初期の十字軍
第3回十字軍
これに対し、フリードリヒ1世(神聖ローマ皇帝)、フィリップ2世(フランス王)、リチャード1世(イングランド王)の三大国の君主からなる第3回十字軍(1189〜1192)が結成された。
だが、大軍を率いたフリードリヒ1世(神聖ローマ皇帝)は途中小アジアで不慮の事故死を遂げ、フィリップ2世(フランス王)はリチャード1世(イングランド王)と対立し、アッコンを奪還後帰国した。
リチャード1世(イングランド王)だけがその後もサラディンとわたりあったが、結局イェルサレムを奪回することはできなかった。なお、この第3回十字軍に際して、ドイツ騎士団が成立している。
参考 詳説世界史研究
子女
- ルイ8世(フランス王)(1187年 – 1226年) – フランス王 アニェス・ド・メラニーとの間に1男1女がいる。
- マリー(1198年 – 1223/24年) – 1210年にナミュール侯フィリップ1世(ボードゥアン5世(エノー伯)の子)と結婚、1213年にアンリ1世(ブラバント公)と再婚
- フィリップ・ユルプル(1200年 – 1234年) – クレルモン伯、1216年にダンマルタン伯ルノーの娘マティルド・ド・ダンマルタンと結婚
参考 Wikipedia