フランシスコ・デ・ゴヤ Francisco José de Goya y Lucientes(
A.D.1746〜A.D.1828)
バロック期のベラスケスと並ぶスペイン最大の画家。ロマン主義でありながらロココの技法も自然主義の観察眼ももち、近代絵画の創始者ともいわれる。カルロス4世のとき宮廷画家に出世、ほどなく聴力を失う。「カルロス4世の家族」では王の愚かさや妃の狡猾さまでも描き出し、「1808年5月3日」はナポレオン軍によるスペイン市民虐殺に材をとる。
フランシスコ・デ・ゴヤ
スペインの画家、版画家。1766年マドリードに出て宮廷画家F.バイユーのもとで修業。73年その妹と結婚してマドリードに定住。王立タペストリー工場のために制作した多くの下絵によって認められ、89年にはカルロス4世(スペイン王)の宮廷画家となる。95年アカデミア総裁、99年首席王室画家となり、着衣および裸体の『マハ』(マドリード、プラド美術館)をはじめ『カルロス4世とその家族』(1800、同)など多くの傑作を制作。他方1814年頃、反ナポレオン戦争中に主題を得た『5月2日の蜂起』や『5月3日の処刑』(同)なども描いている。またすでに版画の連作『ロス・カプリチョス』(1799)、『戦争の惨禍』(1863初刊)などによって、風刺的、幻想的傾向を強めていた彼は、「聾者の家」に隠棲していわゆる「黒い絵」の連作を描いた。その後弾圧を避けて24年にフランスのボルドーに亡命し、闘牛その他を描く。鮮明な色彩感、光の描写、鋭い現実直視と幻視性の結合などは、近代絵画への道を開いたものとされる。
参考 ブリタニカ国際大百科事典
鋭い観察眼を持った時代の証人
バロック期のベラスケスと並ぶスペイン最大の画家。ロマン主義でありながらロココの技法も自然主義の観察眼ももち、近代絵画の創始者ともいわれる。王立タペストリー工場の下絵描きからカルロス3世(スペイン王)付き画家、カルロス4世(スペイン王)の宮廷画家に出世、ほどなく聴力を失うも多くの代表作を製作。その一つ「裸のマハ」は猥褻とされて裁判になる。「カルロス4世の家族」では王の愚かさや妃の狡猾さまでも描き出した。対仏独立戦争期の作品「1808年5月3日」はナポレオン軍によるスペイン市民虐殺に材をとる。他に、「砂に埋もれる犬」や「わが子を食らうサトゥルヌス」を含む連作「黒い絵」が名高い。
「カルロス4世の家族」:画面左の影でこちらに顔を向けているのは、ゴヤ本人。ゴヤの工房へ訪れたような国王一家はみな、上等な衣装や宝飾品をこれみよがしに身に付けている。カルロス4世(スペイン王)は狩りにしか興味を示さず、代わりに王妃が愛人を首相にして国政を支配。その両親を軽蔑して育った皇太子は、国内に混乱を巻き起こし、後にスペイン史上最悪の王と呼ばれる(フェルナンド7世(スペイン王))。
1808年5月2日にマドリードのプエルタ・デル・ソル近くのアルカラ通りで起こったフランス軍に対するスペイン市民の暴動を描写した
「1808年5月3日」: フランス軍に対抗するマドリード市民の蜂起は1808年5月2日に始まるが、3日にはフランス軍による市民の処刑が始まった。フランシスコ・デ・ゴヤは、野蛮人にならないようにとの永遠の教訓を与えるために、「1808年5月3日」を描いたという。この絵の中央に位置する白いシャツの男性の掌には、キリストを思わせる聖痕(磔刑に際してつけられた傷)が描かれている。 参考:山川 詳説世界史図録
同時代の人物
東洲斎写楽 (生没年不詳)
江戸の浮世絵師。ゴヤが聴力を失いながらも絶頂期を迎えた1794(寛政6)年5月、28枚の役者大首絵でデビューした。以後10ヶ月で140点余の作品を残し忽然と消えた。