フランシスコ・ピサロ (1470頃〜1541)
スペインのコンキスタドール。同僚のアルマグロとともにペルーのインカ帝国の内紛を利用して、皇帝アタワルパを捕らえて処刑し、1533年、帝国を征服した。その後、クスコの支配権や支配地の分配などをめぐって、協力者のアルマグロと対立。内戦が始まり、アルマグロを破って処刑したが、遺児一派によってリマで暗殺された。
フランシスコ・ピサロ
皇帝を人質にしてインカ帝国を滅ぼす
フランシスコ・ピサロはスペインの地方貴族出身。特に教育は受けていなかったという。インカに「黄金郷」があると聞きつけたピサロは、第2のエルナン・コルテスを夢見た。
1531年、180名の兵士とともにパナマを出発、アンデス山脈を超えた。当時インカ帝国は、皇位継承による混乱状態にあった。ピサロはこれに乗じて会見を申し入れ、皇帝アタワルパに面会した。
皇帝にカトリックへの改宗を迫り、これが拒絶される機会を利用して捕縛した。皇帝を人質として幽閉し、身代金として莫大な財宝を受け取るが、1533年、約束を反故にして皇帝を処刑。さらに首都クスコを制圧し、インカ帝国を滅ぼした。
ピサロは、これによりスペイン王カルロス1世から侯爵を授けられた。しかし、コルテスと同様、インディオを奴隷化し、女性を強姦、妾としたことで悪評も得ている。その後、クスコの支配権や支配地の分配などをめぐって、協力者のディエゴ・デ・アルマグロと対立。内戦が始まり、アルマグロを破って処刑したが、遺児一派によってリマで暗殺された。
近代ヨーロッパの成立
ヨーロッパ世界の拡大
新大陸の征服とコンキスタドールの活動
フランシスコ・ピサロ
バルボアに仕えた士官であり、勇気・決断力・無慈悲さを兼ね備えていたピサロは同僚のアルマグロとともに、1524年からペルーの予備的な探検をおこない、1532年、17頭の馬と180の歩兵を率いて、インカ征服の遠征をおこなった。彼はインカ帝国の内紛を利用して、皇帝アタワルパ(1500頃〜1533)を捕らえて処刑し、1533年、帝国を征服した。
近代ヨーロッパの成立年表
イタリア・ルネサンス(14〜16世紀) | |
1450頃 | ヨハネス・グーテンベルク、活版印刷技術発明 |
1488 | バルトロメウ・ディアス、喜望峰到達 |
1492 | スペイン、グラナダを占領(レコンキスタ完了) |
クリフトファー・コロンブス、アメリカに到達 | |
1494 | トルデシリャス条約(スペイン・ポルトガル) |
1495 | レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」制作(〜1498頃) |
1498 | ヴァスコ・ダ・ガマ、カリカットに到達 |
1517 | マルティン・ルター、九十五カ条の論題発表 |
1519 | フェルディナンド・マゼランの部下、世界周航(〜1521) |
1521 | エルナン・コルテス、アステカ帝国征服 |
イタリア戦争(第三次イタリア戦争 〜1526) | |
1524 | ドイツ農民戦争 |
1529 | オスマン軍の第一次ウィーン包囲 |
1533 | フランシスコ・ピサロ、ペルーのインカ帝国征服 |
1534 | 国王至上法発布(イギリス国教会成立) |
イエズス会設立 | |
1541 | ジャン・カルヴァン、ジュネーヴ市政掌握 |
1543 | ニコラウス・コペルニクス『天球回転論(地動説)』刊 |
1545 | トリエント公会議(〜1563) |
16世紀後半、価格革命おこる | |
1555 | アウクスブルクの和議(ルター派の信仰認められる) |
1558 | エリザベス1世の即位(〜1603) |
1559 | カトー・カンブレジ条約(イタリア戦争終結) |