レザノフ フヴォストフ事件
クルーゼンシュテルン提督が率いるロシア船の図(画像出典:国立公文書館 デジタルアーカイブ

フヴォストフ事件


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フヴォストフ事件 (文化露寇) (1806(文化3)年・07(文化4)年)

通商要求を拒絶されたレザノフの部下が中心となっておこしたロシア軍艦による襲撃事件で、文化露寇とも呼ばれる。1806年に樺太、07年に択捉・利尻島を襲撃。1807年、幕府は防備を強化し、ロシア船打払令を公布した。

フヴォストフ事件

通商要求を拒絶されたレザノフの部下が中心となっておこしたロシア軍艦による襲撃事件で、文化露寇とも呼ばれる。1806年に樺太、07年に択捉・利尻島を襲撃。1807年、幕府は防備を強化し、ロシア船打払令を公布した。

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幕藩体制の動揺

幕府の衰退

列強の接近

1804(文化元)年、ロシア使節レザノフ(Rezanov 1764〜1807)がラクスマンのもち帰った信牌を携えて長崎に来航し、通商関係の樹立を求めた。幕府は、朝鮮・琉球・中国・オランダ以外とは新たに外交・通商関係をもたないのが祖法であると拒否した。このときの幕府の対応は、杉田玄白 司馬江漢しばこうかんらが批判したほど冷淡であった。レザノフは、シベリア経由で帰国の途中、日本に通商を認めさせるには軍事的な圧力をかける必要があると軍人に示唆した結果、1806(文化3)年から翌年にかけてロシア軍艦が樺太や択捉えとろふを攻撃する事件(フヴォストフ事件)がおこった。とくに、択捉守備兵が敗走したことから国内は騒然とした雰囲気となった。

大国であるロシアに対して失礼な応対であり、しかもラクスマンへは貿易許可をほのめかしたにもかかわらず、レザノフへは拒否したのは約束違反ではないかと批判した(『野叟独語』)。
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