ブルターニュ
フランス北西部の突き出た半島にある地域。かつてはブルターニュ王国、ブルターニュ公国という独立国だったが、1532年にフランスに併合され州となった。
ブルターニュは6つあるケルト国の1つとみなされている。
時には、現在のブルターニュ地域圏と区別する目的で「歴史的なブルターニュ」(Bretagne historique、ブルターニュ・イストリック)と呼ばれることもある。
ブルターニュ
ケルト国
ケルト国とは、北ヨーロッパおよび西ヨーロッパの、地域独自のケルト語、芸術、歴史、音楽、舞踊、文学といった文化的特性が今も残る領域を指す名称。
ブルターニュは6つあるケルト国の1つとみなされている。
ブルターニュは6つあるケルト国の1つとみなされている。
ケルトの国として認識される6つの地域
- ブルターニュ(Breizh)
- コーンウォール(Kernow)
- アイルランド (Éire)
- マン島(Mannin)
- スコットランド(Alba)
- ウェールズ(Cymru)
ブルターニュの歴史
- 原史時代、5つのケルト部族がいた。
- 紀元前51年、古代ローマの一部となる。
- 紀元前13年、ローマ属州ガリア・ルグドゥネンシスに含まれる。
- 5世紀末、ローマ化したブリトン人の侵入が始まり、大小の王国群ができあがる。
- 840年代、幾つもの小国に分裂していたブルターニュをノミノエが統一し、ブルターニュ王国の初代王となる。
- 845年、バロンの戦いでシャルル2世(西フランク王)・禿頭王に勝利する。
- 851年、ノミノエの息子・エリスポエはジャングランの戦いでシャルル2世(西フランク王)・禿頭王に勝利し、ブルターニュ王国の独立を確立し、領域を拡大していく。
- 10世紀初頭、ヴァイキング(ノルマン人)によって国土が殆どが侵食された。
- 939年、アラン2世がトランの戦いでヴァイキングを撃破し、強力なブルトン人国家・ブルターニュ公国(独立国)を、ブルターニュとノルマンディーの国境であるクエノン川に建国する。
- 942年、アラン2世はルイ4世(西フランク王)に臣従を誓う。
- 1123年、ルイ6世(フランス)・肥満王がナント司教を承認する。
- 1173年、ヘンリー2世(イングランド)に対する反乱を興す。
- 1341年、ブルターニュ継承戦争で、フランスの支援を受けるブロワ家に、イングランドの支援を受けるモンフォール家が勝利し、百年戦争の終わりまで公国は完全な独立の時代を送る。
- 1532年、フランスに併合され州となる。
- 1790年、政治的に独立した実体としてのブルターニュは消滅し、5つの県に分けられる。
- 以下編集中
文化
ブルターニュには膨大な量の中世の建築物がある。これらには数多くのロマネスク様式とゴシック様式の教会が含まれる。
サン=ポル=ド=レオン聖堂、トレギエ聖堂、ドル聖堂、ナント大聖堂、クライスケール礼拝堂が主な教会堂である。シュシニオ城、ディナン城、コンブール城、ラルゴエ城、トンケデック城、ジョスラン城、トレセッソン城といった、ブルターニュの城の大半が13世紀から15世紀にかけ再建されている。最も印象的な城はフランスとの国境沿いによく見られる。フージェール城、ヴィトレ城、シャトーブリアン城、クリッソン城がこれにあたる。